心身のバランスを崩してしばらくハリウッドから遠ざかっていたブレンダン・フレイザーが、『ザ・ホエール』で本年度米アカデミー主演男優賞を受賞し、見事に復活した。本作は「メイクアップ&ヘアスタイリング」部門も受賞。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が最多7部門を独占という“エブエブ旋風”が吹き荒れた今年のオスカーレースの、もうひとつの話題作だ。映画は4月7日から日本公開される。
『ザ・ホエール』
この映画の主人公チャーリーは、オンラインで授業をする40代の大学教員。現実逃避のように引きこもりの生活を送っている。体重272キロ、重度の肥満症だ。暴食の果てにこの姿になった。血圧は238/134、うっ血性心不全で、いつ命をおとしてもおかしくない状況。その彼が、いよいよ死を予感し、過ごした最期の5日間を描く。
『ハムナプトラ』シリーズなどで颯爽としたアクション俳優のイメージがあるブレンダン・フレイザーが、まるで“ジャバ・ザ・ハット”のような存在に扮してどんな演技をみせてくれるか、そこが大きな見どころ。彼の姿を作り上げた特殊メイク・チームの努力と技もすさまじい。
原作はオフ・ブロードウェイのお芝居。彼が住む家の中だけでドラマが展開される、いわゆるワン・シチュエーションの室内劇だ。
チャーリーはほとんどソファに座りっぱなし。いつも来てくれる看護師のリズ(ホン・チャウ)がいわば命の綱。体のケアだけでなく食料の補給もやってくれる。彼女からは聴診器をあてるたびに、病院に行くべきと懇願されるのだが、かたくなにそれを拒んでいる。すでに彼は死を意識している。体だけでなく、心が病んでいるのだ。
彼には、8年前、妻と娘がいたにもかかわらず、同性の教え子、アランとの関係を優先し、家を出た過去がある。その恋人アランの死に悲嘆した結果、自暴自棄になったといえる生活ぶりなのだが、唯一の心残りは娘のこと。死ぬ前にもう一度だけ会いたい……と考えている。
『透明人間の告白』という映画にもなった小説があったが、いまの世の中は、あの主人公みたいに誰からも姿を見られず生活ができてしまう。チャーリーは、Zoomの講義中「機械が壊れた」と言って、自分の映像をオフにしている。ピザのデリバリーマンとも「お金は郵便ポストにいれてある」と顔をあわせない。そんな透明人間のような彼が、人生のエンディングを迎え、宗教の勧誘で訪れた若者トーマス(タイ・シンプキンス)、そして娘エリー(セイディー・シンク)、さらには別れた妻メアリー(サマンサ・モートン)の登場により、自身を現し、心を開いて、過去をしっかり見つめることになる……。
監督はダーレン・アロノフスキー。『レスラー』では落魄のプロレスラーを演じたミッキー・ロークが再注目を浴び、『ブラック・スワン』ではナタリー・ポートマンが魔性のバレエリーナ役で新たな女優魂をみせ、アカデミー賞主演女優賞を獲得している。いわゆる役者を演技開眼させる名監督だ。今回の作品は、たまたまお芝居を観て感動し、即映画化を決めたという。脚本は舞台と同じサミュエル・D・ハンター、映画をてがけるのは初めてだ。