「アイラブユー」を聴きながら毎朝楽しく見ていたあのタイトルバックの映像、あれはドラマの内容そのままだったんですね。すべて見終わってやっとわかりました。一枚の紙が紙飛行機になり、自分の足で進むようになって凧に変わり、風にあおられて水溜りに落ち泥まみれ、飛行機となれたけれど一枚の紙に戻り、ふわふわと風に乗って漂ううちにカササギになり、最後にはたくさんの鳥たちといっしょに空飛ぶクルマになって五島へと飛んでいく。物語の後半、このまま舞ちゃんは空へは行かないのかとハラハラしましたが、あの時、ただ風に流される一枚の紙のように見えていた舞ちゃんは、実はちゃんと飛行機の形になる準備ができていて、飛び立てる時間を待っていただけだったんですね。
実は、舞ちゃんのことをいつまでも「舞ちゃん」呼びでいいのかと、このコラムを書きながら迷ってました。初めは小学3年生だった彼女もどんどん成長して、最終回では40代。大人の女性にちゃん付けってどうなのかと。でも、コロナ禍のパリでひとりになった貴司くん(赤楚衛二)が書いている日記は、どれも「舞ちゃん」と呼びかける言葉で始まっているのを見て、ちょっと泣いてしまいました。名前を呼びたくなる人がいるって、幸せなことですよね……応えてもらえなくても、遠く離れていても。そんな貴司くんと同じように、最後まで「舞ちゃん」と呼ばせてもらえてよかった。
それにしてもあのパリの部屋、もしかして八木さん(又吉直樹)は借りてるのではなく所有しているのでしょうか。デラシネも彼の持ち物だとしたら、いろんな国に家を持っているお金持ちなのでは。彼は年齢も不詳ですが、60年代に大学で好きな人と出会い、今は親の遺産で暮らしているのかな……と想像すると、2026年に『トビウオの記』を読んでいる八木さんは80代くらいでしょうか。デラシネ=根なし草として世界中を旅して、ずっと好きな人の名を心で呼び続けて生きていくんですね。あと、八木さんと同じくらい貴司くんを好きだと思われるリュー北條(川島潤哉)。彼、出版社内で異動があって、短歌雑誌の編集部から文芸誌の編集長とかになってそうな気がします。貴司くんの随筆を「コロナ禍のパリで作家は何を見たか」とかコピーつけて雑誌連載してから単行本にしてベストセラーにとか、彼ならやりそう。