「そうだと思います。アメリカは『政治について知らないと恥ずかしい』という文化があって、家族で集まると政治の話になるのはごく普通の光景です。それは小さい頃から意見を言う/議論するという教育をされてきたからで、私も子どもの頃に議員に手紙を書いたり、模擬選挙をやったりしていました。それはつまり『自分たちの力で社会は変えられる』と教えられてきたということです。さらに言うとアメリカでは、『みんなにとってよい社会にしたい』と考える人もいますが、基本的には『自分にとって都合のいい社会にしないと損だ』という考え方がすごく強いんです。『主張しないと生き残れない』というのは、一種の過酷さでもありますが、そのことによって自分の意見を言う力が鍛えられている。日本の教育は基本的に正しい/間違いの二元論ですよね。英語の穴埋め問題があったとして、『正しい単語以外はすべて間違いだ』と教え込まれていたら、道端で外国人に話しかけられても、間違えるのが怖くて話せない。『自由に発言してとにかく意思を伝えることが大事だ』と教育されていたら、そうはならないと思います」
――教育以外の面で、日本に議論する文化が根付かないのはなぜだと思いますか?
「二つあります。一つは、日本は基本的に『みんな一緒』という安心感がベースにあることで、社会が成り立っているということ。だから『違いを認めると面倒くさくなる』と考える人が多いのでしょう。アメリカはみんな違います。電車で隣に座ってる人も、向かいに座ってる人も違う。違うことが前提だから、意見も違って当然なんです。『みんな一緒』が支配的な社会の中では『マジョリティーにとっての模範解答』が決まっていて、空気を読んでそれを言うことが求められます。よくテレビニュースで『冬休み楽しかったですか?』と聞かれた小学生が、『楽しかったです』と答える場面がありますよね。実際に楽しかったかどうかはともかく、あれはそう答えるのが求められる場面で、子どもの頃から『空気を読む』ことに慣れさせられている。