『大奥』に登場する将軍の姿は、国の存続のために据えられた女性たちである。そして将軍に仕える大奥の男性たちもまた、なかば強制的に、将軍の子を産むため「大奥」という場所で生きることを義務付けられる。この物語は、男女逆転した大奥を描くことによって、むしろ男女という性別に拠らない、「大奥」という場所そのものの悲劇を描いているのである。まだドラマには登場していない場面だが、『大奥』の後半にはたとえば権力をほしいままにし、さまざまな他人たちを蹴り落とす女性将軍の在り方も見える。あるいは子を産まずに養子をもらおうとする女性同士の婚姻も描かれる。つまり『大奥』という物語は、男性だから女性だからと性別に関係なく、「子どもを産むことを強制する社会」というもののグロテスクさを浮き彫りにしているのだ。

 ドラマ版第2話から登場する家光は、女性としての尊厳を奪われ、将軍という地位に就かざるを得なかった少女である。春日局は、江戸幕府という場所を守るために、まだ少女だった家光へ将軍になるよう命じる。

 注目すべきは、春日局が女性である、という点だ。男女逆転の物語ならば、たとえば春日局は男性で、この悪い男性によって家光は悲劇の少女となった……という物語にしてもいいはずなのだ。しかし『大奥』は、決して男性に強制された女性の悲劇ではない。男女逆転の仕組みは春日局という女性がスタートさせたのだ。――ここに『大奥』という物語の奥深さがある。

 女性が将軍となり、若い男性たちが大奥という場所に集い、そして江戸幕府を創り上げる。一見、その世界観は「女性だって将軍になることができる」というメッセージを提示したいように思える。だが違うのだ。この物語は、「将軍になるのが男女どちらの性別であろうと、『血縁のある子どもしか将軍を継ぐことができない』というルールがある限り、『大奥』が悲しい地獄のような場所であることに変わりはない」という、血縁の悲劇を描いた物語なのである。だからこそ、ドラマ版でも有功は大奥を「ここは修羅や」と述べる。