が、それはそれとして、記事冒頭の発言が出たのは、オードリーに会うことへの緊張を蓮見が語り始めたときである。ダウ90000のほぼすべての脚本を書く蓮見。演じる本人のイメージにあわせて脚本を書くこと、いわゆる当て書きがこれまで多かったという蓮見は、オードリーが大好きなのだという。なぜなら――。

「当て書きの究極体だと思うんですよ、春日さんって。若林さんの根底に愛があるじゃないですか。同級生じゃないとたぶんここまでの当て書きにはならないし。若林さんが1個すごいってことと、あと、それを20何年ずっとやってる春日さん怖すぎる」

 なるほど、人前に出る芸人やタレントは大なり小なりなんらかのキャラクターを設定しているはずだが、他人からあてがわれたキャラクターと本人の素のようなものの境目が春日ほどわかりにくい人は、同時代の日本にあまりいないかもしれない。

 そして何より、それを貫徹し続ける人も春日のほかにほとんどいない。他人からの指示をやり続けることで知られる春日だが、春日は何よりも春日をしてきた。木村拓哉がキムタクをしてきたのと同じである。いや、本人を取り巻く環境や本人自身が変わっていくなかで、10数年前の春日と今の春日は確実に違ってきているはずだ。マイナーチェンジを図っているはずだ。番組内でも語られていたが、ラジオとテレビの春日も違うだろう。が、私たちのイメージのなかで春日は春日であり続ける。春日というシステムのホメオスタシス。