本来あるべき採用の姿
本来あるべき採用とはどういったものなのだろうか。本を読み漁り、セミナーを受講すると、本質が見えてきた。会社の目指す方向性から、求める人物像を明文化して共有し、それにあった人を見極めること。それが、強固な会社組織を作っていくうえで重要である――。明らかにこの会社には欠落している点だ。だから、社員の帰属意識が低くて、離職率も高いのではないか。
いつかこの会社の採用を変えたい、と心の底で思いながら仕事をしていた。だけど私が得た知識は、頭でっかちでしかないのかもしれない。ある日、選考内容を見直そうとあれこれ意見が交わされたときに、総務部長がこぼした言葉が印象に残っている。
「結局、働いてもらわないとわからないんだよね」
だから誰を雇っても同じ、と続くように聞こえた。言葉の背景にある、総務部長が見てきた過去を想像してみた。いい人材だと思ったのに、いまいち活躍しなかった。期待していたのに、早々と辞めてしまった。きっとそういったことが繰り返されてきたのだろう。
社会人になってわかった顔採用がなくならない理由
そう考えると、顔採用は無難な選択になるわけだ。仕事の能力は未知数でも、顔がいいことはわかる。美人は品質保証。下手な人を雇うより確実だ。投げやりのような、諦めのような、長く採用の仕事をやっていたら、そんな心境になってしまうのかもしれない。
それ以上にショックだったことがある。社会人になってわかってしまった。実際、顔がいい人はスゴイのだ。後輩に、岡田結実似の美人が入ってきたときのこと。営業事務の彼女が、「お疲れ様です!」とニコっとするだけで、重苦しい職場がパッと明るくなる。疲れが吹っ飛ぶような可愛らしい笑顔に、「仕事、頑張ろう!」と営業マンの活力になるのもうなずける。
まさに、カワイイは正義。これは実務以上に会社に有益なのかもしれない……。顔採用なんてなくなってほしいのに、美人を目の前にして、ぐうの音もでなかった。
つまるところ、顔採用は合理的となってしまうのだろうか。こんなの、就活で感じていた残酷な顔面格差を裏付けるようで、不本意でしかないのだが。
最近、ルッキズムから脱しようとミスコン廃止の声があがったり、一方で美容整形が当たり前になったり、美の価値観が揺らいでいるように思う。顔採用は、どんなふうに議論さえていくのだろうか。どうか顔に自信がない人でも卑屈にならずに就活ができる未来であってほしい。
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