「もみぢ葉の 散り敷く道を 歩みきて 浮かぶ横顔 友との家路」

 これが読み人知らずだったら、どうということはないと思うが、あの天皇の長女・愛子さんの歌会始の一首だといわれると、なにやら、有難い思いがするのは、私が日本人だからだろうか。

 選者である歌人の永田和宏は、

「言葉選びが若々しく清潔な印象で、素直なとてもよい歌だと感じました」

 と褒めている。

 さらに、

「ご自分のことを詠っているのですが、背後に今の社会を如実に色濃く反映しているところが、素晴らしいと思います」

 とべた褒め。

 まあ、こんな歌をとけなすわけにはいかないだろうが、私には素直だけれど深みのない歌に思えるのだが、まあそんなことはどうでもいい。

 雅子皇后は、

「皇室に 君と歩みし 半生を 見守りくれし 親しき友ら」

 と詠んだが、これも話題を呼んでいると文春が報じている。

 この親しき友は誰を指すのだろう。天皇と娘以外に、親しき友がいるのだろうか。それは宮内庁の中の人間ではないだろう。苦難の半生を振り返り、よくここまで来たものだと感慨ぶかい思いが伝わってきそうな歌ではある。

 紀子さんの歌。

「春楡の 卓の木目を 囲みつつ 友らと語る 旅の思い出」

 こちらは少し“技巧”の跡が窺える。本当は、子どもらと語り合いたいのであろうが、それが叶わない思いがあるのではないかと勘繰ってしまうのは、私だけだろうか。