◆ついに潔癖性の鎖から解き放れた

 イベントが始まると、舞台に登場したたいがー・りーさんは以前のダンディなオールバックヘアから一変。ロングのウェービーなヘアスタイルにブルーのベレー帽をかぶり、耳にはピアスが。芸術家度がアップしていました。

「今までファッションに興味がなかったんだけど、高知に引っ越してから急に目覚めて、好きな格好してみようって。そしたらこうなったの。今、一番いい状態」

デニムのショートパンツの丈も以前より短く……潔癖性の鎖から解き放たれ、より自由になられたようです。

◆潔癖症の始まりは小3、生活への支障の数々

潔癖症の始まりは小3、生活への支障の数々
 前半、涙なくしては聞けないこれまでの潔癖性の歴史が語られました。精神科の先生に、「強迫性障害」の「不潔恐怖洗浄」と診断されるほどの辛い症状だったそうです。はじまりは小3の時、理科の実験の時に劇薬の雫が飛んだのを先生が指で拭いて、いろいろなところを触ったのを見てから、恐怖が刷り込まれました。

 たいがー・りーさんを最も苦しめたのは「デスパウダー」(死の粉)という概念。地面には死の粉が降り注いでいて、触れたら死んでしまう、という思いに取り憑かれていたそうです。

 生活への支障は多岐に渡り、「ビニール手袋3枚する」「靴下は二枚履き」「お金が触れないからカードしか使えない」「靴に小石が入ってパニック」「折り畳み傘しかさせない」「足が組めなくなる」「電車内で他人のリュックの紐が触れてパニック」「ロングスカートが触れてパニック」「枯れ葉がズボンに触れてパニック」「蟻が膝にいてパニック」「外の物を部屋に落としたらその上にタオル3枚敷く」「一ヶ月の間に靴を6足捨てる」「玄関で服を全部脱ぐ」「スーパーの買い物かご使えない」「自動改札機狭い方通れない」「お座敷の食事会に行けない」などといった壮絶な生活を送っていました。