先日とあるツイートを見つけた。

「お笑いを分析するのはもういい。ただ楽しむだけでいいじゃん」

 このツイートが示す通り、昨今「M-1グランプリ」や「キングオブコント」など、お笑いの賞レースで披露されたネタに対して、独自の考えや分析をネット上で発表する人が増えている。それは僕たちのように仕事としてコラムやレビューを書く人間だけではなく、趣味の一環として分析し、レビューを投稿している人も多く見かける。

 これはまさに時代を象徴している事象なのでは無いだろうか。

 コロナ禍を迎えたことにより、普段の生活から自粛を余儀なくされ、人との交流が極端に制限されてしまったとき、ひとは他人の考えや理論に興味を持つようになった。その結果、自身の分析や独自の考え方を発信し、それに対して他者が共感や否定などの評価をするというのが、現代の文化のひとつに加えられたのだ。

 つまり多くのジャンルにおいて、分析やレビューが当たり前になっており、何もお笑いに限ったことではないのだ。むしろ市場が大きくなるほどに、考察する人が増えたり批評も増えてくるのはとうぜんのこと。

 ではなぜ、お笑いに対して分析することに、否定的な意見が多いのか。

 それは“純粋にお笑いを楽しんでいないように感じてしまうから”では無いだろうか。もちろん純粋に楽しんだうえで分析する人はいるのだが、分析しないほうが良いと言っている人達は、何も考えず目の前で起きている非日常的な物語を理屈抜きで楽しんで笑うというのが、理想的なお笑いの楽しみ方だと思っているのではないだろうか。

 もちろんその考え方もわかるし、そういった人たちが一定数いるのも理解できる。だが僕が思うに、お笑いというのはもっと自由なもので、楽しみ方は人それぞれ。分析しながら見るのが楽しい人たちもいるのだ。

 さらにそこに現代的な考え方がプラスされると、分析したのだからどうせなら自己表現として発信したいという人もたくさんいるだろう。どちらにせよ、大前提として分析しようが分析しまいが楽しみ方は人それぞれだし、自身が取捨選択できるサブスク時代なのだから、その分析すら見ないことだって出来るはずだ。なので「お笑いとはこういうものだ」という固定概念に囚われず、もっと自由に好き勝手楽しんでいいのではないだろうか。