堂々たる、という言葉一つでは余りにも足りはしないが、それでもこの、いつか来てしまうと分かっている、避けることができないと分かっている、この別離を、あの人の卒業を、嘆き、悲しみ、慈しみ、愛おしみ…。
そんな悲喜の交々が音楽という、ある種の箱、型、或いはJ-POPという、卒業ソングという、一種の定型の中に詰めッッッ詰めに詰められており、勿論その規格にそぐう様に整えられ、誂えられてはいるものの、でもそれでもやはり当曲が発売されるに於ける事象と捧ぐべく対象が巨大で偉大過ぎるもんだから、詰められているというよりは押し込められている様にも思えるし、何ならはみ出してすらいるとも思った。
当曲発売日である12月7日のちょうど1日前のことだ。国語辞典などで著名な出版社三省堂が、「今年の新語 2022」を発表。大賞として取り上げられたのは「タイパ」という言葉。タイムパフォーマンスの略語であり、要するにコスパの時間版を指す言葉であるのだが、こちらには昨今の倍速視聴やギターソロ飛ばし(厳密にいえば間奏以降はリフレインの展開となる曲が多いため、間奏が来たら曲の大枠は聴いたという事とみなし、次の曲へスキップするという行為か)だったり、尺の短尺化(国内では大体3分台であるがむしろ海外のヒップホップなどには2分台の楽曲が非常に多くなっている)やイントロの省略などという傾向が背景としてあり、そんな時代的で世代的な趣向の反映が此度の大賞の由縁となった訳だが、その翌日に発売された乃木坂46の表題曲がこの言葉の真逆である「5分11秒」のランタイムを有している事がもう、大はみ出し(因みに前作好きロックも5分32秒)。
そこに配置されるは全体的に寂しげなトーンを漂わすピアノやストリングスではあるのだが、生ドラム(打ち込みかも知れないが)のタッチや随所でグッとフレーズを動かし前に出て来るベースに見られるの力強さと躍動感、そしてアウトロではサビのフレーズをピアノでリフレインさせていくと言う、言わばこれまた昨今の時代性と反する様な大仰な手法の数々も大はみ出し。
そしてスマートさとは程遠い泥臭い、いや、最早先述の事象対象そして歴史などを鑑みるとそれは血生臭いとも言える歌詞。字数も多けりゃ譜割りもギリギリ、2番Aメロの「だけどどこかに希望の風が吹いている気がして」の「希望」の「希」なんか誰がどう聴いてもな大はみ出しではないか。
サビ頭の「寂しさよ語りかけるな 心が折れそうになる」だったり特に2サビの「悲しみよ泣き出すなよ 強がりとバレてしまう」と言うフォーキーでブルージー、と言うよりやっぱ泥臭くて血生臭い一節なんてもう、こんな物騒な歌詞アイドルに歌わすなと声を大にして言いたい。
なのであるが、でもこれ、一分一秒、一言一句、削っちゃダメだったんだろうなあ。