理想と現実がぶつかる、象徴的なタクシーでの口論シーン

 連続殺人事件の真犯人の正体と冤罪の黒幕に迫ってきた『エルピス』だが、第8話で真犯人を指す物的証拠は見つかった。だが一方で、何者かが岸本を陥れた可能性も出てきた。残り2話で松本死刑囚の冤罪を晴らすに至れるか、そして“黒幕”は誰か明らかにされるのかという点は、エンターテインメント作品としての本作の見どころだが、物語において同じくらい重要なのが、浅川と岸本の関係性だ。

 これまで『エルピス』が丁寧に描いてきたのは浅川と岸本の「連帯」の過程であり、それはすなわち、現実と理想の折り合いの付け方ということではないだろうか。

 思えば、浅川と岸本は互いに引っ張り合うような関係だった。保守的な報道部で自分の言葉で語れないことに失望した浅川は、食事も睡眠もろくに取れない状態になり、『ニュース8』降板後は深夜バラエティで倦んでいた。マイペースで社内事情や人間関係にまったく関心を持たない岸本が松本死刑囚の冤罪容疑について話を持ち込んだときは、距離を置こうとした。だが、岸本の熱意に徐々に浅川は情熱を取り戻し、「飲み込みたくないものは、飲み込まない!」と宣言する。一方で岸本はヘアメイクのチェリー(三浦透子)に脅されていただけだと及び腰になるが、今度は浅川の熱意に巻き込まれる形で岸本も事件追及にのめりこんでいった。2人の「連帯」の過程が物語を動かしていた。

 しかし浅川は、事件の背後にある想像以上の闇におののき、『ニュース8』復帰後は保守的な姿勢を見せるが、岸本は「週刊潮流」に署名記事を出すほどに、何もかもを捨ててもいいという覚悟で臨む。“覚醒”した岸本の活躍が目立つ第5話以降は、岸本のほうが物語の主人公のような存在感を放ち、浅川は煮え切らない態度が増えていった。そして第8話では、浅川と岸本の間にある溝が広がりつつあることがうかがえた。

 人間関係に興味を持たず、世界を複雑怪奇なものと感じている岸本にとって、「飲み込みたくないものは、飲み込まない!」「正しいことなら勝手に味方はついてくるし、道は開けていく」というシンプルな論理で動き、時に岸本に素直に感情をぶつけてくる“かつての浅川”は、“簡単”で、理解しやすい存在だった。今の浅川が“簡単”ではなくなったことで初めて、岸本はその浅川の「簡単さ」に自分が救われていたことを自覚したのだ。

 浅川も、事件追及に関心がなくなったわけではない。だが岸本のように何もかも投げうって挑むことはできない。岸本は「お金持ちのお坊ちゃん」で経済的な不安がなく、養うべき家族もいないからこそ理想を語れるのだと、浅川は冷めた現実を説く。『ニュース8』がリスクのあるスクープは取り扱わないが、後追い報道なら可能というのならば、「週刊潮流」にネタを渡す。浅川は「一筋縄ではいかない」現実に対してそうした妥協を取りながら、打開する道を模索している。岸本の目には、今の浅川はかつてバカにしていた保守的な報道部に飲み込まれ、“大人の事情”に絡めとられているように写っているだろうが、浅川は浅川で、そのなかで闘おうとしているのだ。岸本もそれがまったく理解できないわけではない。だが、「僕が今、『そうっすね、浅川さんも大変っすもんね』って言って、何か変わります? 世界がましになります? 浅川さんの気が楽になるだけですよね」と、いら立ちをぶつけてしまう。今や、複雑怪奇な現実を「飲み込みたくない」のは岸本であり、浅川は現実と理想の折り合いがつく場所を探している。第8話終盤のタクシーでの口論シーンは、『エルピス』が描こうとするものを象徴するシーンではないだろうか。

 浅川の態度にいら立つ視聴者の声もあるが、おそらく浅川は、かつて「正しいこと」を信じて突っ走った結果、松本死刑囚の再審要求が突如棄却されたり、重要な参考人が行方をくらましたり、村井や岸本が飛ばされたりといった結果を招いたことに責任を感じ、慎重になっているのだろう。とはいえ、第9話の予告動画で浅川は、「より適正な報道姿勢の議論をしたいだけです」と訴える一方で、「体がまた、壊れつつある」という不穏なセリフもあり、「飲み込みたくないもの」のためにまた心身のバランスを壊しつつあるようだ。

 分断を経て、浅川と岸本はふたたび連帯することができるのか。そして『エルピス』は現実と理想の折り合いのつけ方をどのように描いていくのか。残り2話、どのようなエンディングへと視聴者を導くのか、注目したい。

■番組情報
月曜ドラマ『エルピス—希望、あるいは災い—
フジテレビ系毎週月曜22時~
出演:長澤まさみ、眞栄田郷敦、三浦透子、三浦貴大、近藤公園、池津祥子、梶原 善、片岡正二郎、山路和弘、岡部たかし、六角精児、筒井真理子、鈴木亮平 ほか
脚本:渡辺あや
音楽:大友良英
主題歌:Mirage Collective「Mirage」
プロデュース:佐野亜裕美、稲垣 護(クリエイティブプロデュース)
演出:大根 仁、下田彦太、二宮孝平、北野 隆
制作協力:ギークピクチュアズ、ギークサイト
制作・著作:カンテレ
公式サイト:ktv.jp/elpis