宇多田や椎名林檎より、純度が高い鬼束ちひろ

 さらに音楽的なことを言えば、同時代にデビューした宇多田ヒカルや椎名林檎などと比較して、鬼束ちひろがより純度の高いソングライターだと言うこともできるでしょう。  自らをプレゼンテーションする企画力に長けている宇多田や椎名林檎とは異なり、鬼束ちひろは言葉とメロディを結びつける能力、その一点突破によって個性を確立してきました。

歌詞とメロディが裏切り合う作風

 際立つのは、歌詞とメロディがお互いに反語のように裏切り合う作風です。つまり、苦しみ、痛み、傷を歌詞にしたためながら、メロディやハーモニーがとことん麗しく優しい。緊張と緩和のつばぜり合いが、楽曲を動かすエンジンになっているのですね。  たとえば、空虚さと無力さの中にひんやりとした美を見出す「流星群」や「Sign」は、Jポップには類を見ないスケールの大きさを感じる傑作です。
 さらに、<貴方の腕が声が背中がここに在って 私の乾いた地面を雨が打つ>(「眩暈」作詞・作曲 鬼束ちひろ)も忘れがたい一節です。歌詞の執拗さとメロディのダイナミックな上下動を、裏声が儚く包み込む。こうした本質的な音楽の瞬発力とアイデアこそが、鬼束ちひろを聴く醍醐味なのです。