◆「N」ワードが立場を離れ、ファッションアイテムになる危険性
そこで2つ目の問題が生じます。藤井風の“無知”や“不勉強”が真実だとした場合、体得したエッセンスを無邪気に出せてしまう危険性です。
藤井風にとって「Sir Duke」(スティーヴィー・ワンダー)もニッキー・ミナージュの「N」ワードも、等しく“カッコいい”ものとして消化されてしまったということですね。このように歴史や生活に対する想像が失われると表現がナイーブなものとなる恐れがあるのです。
もちろん、サンプリングやオマージュの手法自体を否定するのではありません。しかしながら、ただ気に入ったからという理由で借用してしまうと、“文化の盗用”と見られる可能性が生じます。
今回の場合は、黒人女性というマイノリティーの立場から「N」ワードを用いたニッキー・ミナージュと、その種の問題とは無縁で遊び半分に拝借した藤井風の関係性を考える必要があるでしょう。
明確な意図があったミナージュと、自らの趣味嗜好を披露するためにコピーした藤井風とでは、同じ言葉でも意味が違ってくる。原曲を知らない藤井風のコピーを聞いたファンからすれば「N」ワードがただのカッコいいファッションアイテムになってしまう。当然ニッキー・ミナージュの狙いとは異なります。それが“文化の盗用”に当たるのですね。
それゆえに、不勉強よりもこのためらいのなさの方を筆者は懸念します。ケガをしたときのダメージがより大きくなり得るからです。