1989年、日本がバブル絶頂期に「世界の数奇屋」を作るという壮大なプロジェクトによって建設された「ホテル川久」。ヨーロッパ、アフリカ、アジア、そして日本各地から一流の技術をもつアーティストが集結し誕生しました。

ホテル川久とは?

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(画像=ある通訳案内士 まさに宮殿という外観、トリップノートより引用)

ホテル川久は、世界各国の一流の職人による匠の技を集結して造られた「夢の城」とでも言うべき、非常に特徴的な建物です。一度見たら忘れられないインパクトがあります。1993年には、優れた建造物に授与される「第6回村野藤吾賞」を受賞しました。

建設当時は超高級会員制ホテルでしたが、紆余曲折を経て2021年現在は、一般でも利用できるホテルとなっています。また「川久ミュージアム」という博物館を併設しています。

ホテル川久の歴史

金の馬車が名物の老舗旅館

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(画像=ある通訳案内士 こんな美術品まで、トリップノートより引用)

川久は、南紀白浜温泉の老舗旅館が起源です。昭和の初めから営業している旅館でした。

最初の経営者は、大阪船場の商人である河内屋久兵衛(かわちやきゅうべえ)氏で、自身の名前の「河」と「久」をとって「河久」と名付けました。

その後、戦争や昭和南海地震による津波の被害を乗り越え、安間千之(やすまかつじ)氏が1949年の9月にオーナーとなりました。その際に旅館の名前も「河久」から現在の「川久」に変わりました。私設雅楽団を持ち、連日雅楽を上演したり、猿芝居や日本で初めての生バンド付きカラオケを開催したりしていたそうです。

また皇族が使っていた金の馬車を競売で購入し、白浜駅から宿泊者を送迎するなど奇抜な試みも功を奏し、1971年には和歌山で国体(黒潮国体)が開催された際には、当時の天皇陛下が川久に宿泊されました。そこからは、「天皇陛下にお泊りいただいた老舗の旅館」ということでさらに人気が出たそうです。

歴史に残る建築物へ

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(画像=ある通訳案内士 サラ・チェリベルティ 洋宴会場、トリップノートより引用)

建物が老朽化して改築する際には「歴史に残る建築物を作ろう」という話になり、約3年の建設期間を経て、1991年11月20日にリニューアルオープンしました。

フランスに行ったらフランス調のもの、イタリアに行ったらイタリア調のものがあるものの、さまざまな国の良い部分を組み合わせたものはあまりないということで、それらを融合させて世界に一つだけのホテルを作ろうとしました。そのため、世界中から色々な職人を集めたのです。

当初は、180億円から200億円で建築する予定だったものの、外装や内装のようにかなりこだわった結果(後述)、結果的にはおよそ2倍もかかってしまいました。

超高級会員制ホテルとして

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(画像=ある通訳案内士 なかなか攻めた制服、トリップノートより引用)

1991年開業当初のホテル川久は、セレブ向けの会員制高級ホテルでした。会員権は個人で2,000万円以上、法人は6,000万円以上という、庶民には全く手が届かない夢の城となりました。

開業当時の制服も飾られていましたが、なかなかに斬新なデザインで、異世界感・非日常感で満載だっとことが窺えます。

破産、そしてカラカミグループの買収

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(画像=ある通訳案内士 こんな部屋も、トリップノートより引用)

世界に誇るホテルが完成したものの、超高額な会員権の販売数は伸び悩み、客室稼働率は20%台と低迷が続いたようです。そしてバブル崩壊などもあり、1995年に約400億円の負債を抱え、経営破綻となってしまいました。

その後、北海道に多くの温泉ホテルを持つカラカミ観光に30億円で買収され、リーマンショックなどさまざまな荒波を乗り越え、今日に至ります。一般人にも宿泊できるホテルとなったものの、最上級のサービスは昔も今も変わらずです!

ホテル川久こだわりの外装

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(画像=ある通訳案内士 間近で見るとより豪華、トリップノートより引用)

ここからは、ホテルの外装や内部をご紹介していきましょう。

ホテル川久の特徴的な外観を彩る老中黄の瑠璃瓦は、中国・北京の紫禁城と同じような瓦です。かつて皇帝以外使うことが許されなかった瓦が、ホテル川久では47万枚使われています!

通常この瓦を使うことは許されないそうですが、ホテル川久の創設者の一人であるマダム・ホリは、紫禁城の瓦がとても気に入り、北京へ20回も行って交渉したそうです。相手もその情熱に負けて、47万枚の瓦を焼いてもらったとのこと。

そして城壁は、イギリスIBSTOK社製の煉瓦でデザインされています。73種類140万個の、形状が様々な煉瓦を組みあわせており、独特で巧妙な模様を作り出しています。

ホテル川久こだわりの内装

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(画像=ある通訳案内士 ヨーロッパの宮殿みたい、トリップノートより引用)

そしてロビーに入ると、ヨーロッパの世界遺産にでも舞い降りたかのような光景が目の前に広がります。輝く天高のドーム天井です。このドーム天井には、陽にあたった時に最も美しくロビーを照らす純度である22.5金の金箔が貼りめぐらされています。

フランスのロベール・ゴアール工房の3人の職人が、酷暑のなか1ミクロンのドイツ製金箔を約19万枚貼ったとのことです。2020年には、金箔表面積でギネス世界記録に認定されました。

その天井を支える24本の柱は、シュトックマルモ(石膏擬石技法)と呼ばれる特殊な技法で作られています。柱は一本一億円するそうです。シュトックマルモはかつてヨーロッパで発達した技法で、ウィーンのオペラハウスなど著名な建築物で見ることができます。