「いい年して年甲斐もなく」この言葉を周りの人から言われるのではないかと、したいことをできずにいる人は多いのではないだろうか? 年相応に生きることを世間に強いられていると感じる人も多いだろう。しかしその言葉こそが人の可能性を封じ込めて、人を老けさせてしまっているように思う。
■「いい年」「年甲斐」とは一体なんなのか?
「いい年して親のすねをかじって」
「いい年して定職にも就かず」
「いい年して結婚もしないで遊びほうけて」
「いい年」という言葉の後ろにはそんなマイナスな言葉が並ぶ。
「いい年して」について辞書で調べてみると
ある言動について、そういったことをする年齢でもないだろうに、といった意味合いを込めて言う表現。年不相応に。半ば非難の意味で、あるいは諌める意味で用いられる場合が多い。より乱暴に「いい年こいて」などとも言う。
という記述がされている。
■「年相応」という考えが時代遅れ
もちろん私だってこれまで何度も「いい年して」と周りの人間に言われてきた。そしてその度に「いい年ってなんだよ!」と毒づいてきた。「年不相応」であることを周りの人は指摘したいのだろうが、「年相応の行為」ってなんなのだろうか?
おそらくは高校・大学を卒業したら、ある程度の会社の正社員として働き、20代後半に安定感のある異性と結婚。そしてその後出産し、子育てをして、周りから変な目で見られないような人生を歩むこと。そのレールから逸れた行為は「いい年して年甲斐もなく」という言葉のターゲットになる。
しかし「いい年して」なんてまったく時代遅れな言葉ではないだろうか? その人のペースで生きればいいものを、勝手な世間の物差し(しかも日本の現代に限った常識)で「この年齢だからこういうことをしなくてはならない」なんて窮屈でしかない。世界を見てみれば年齢に関係なく60~70歳で新しいことを始める人だって増えてきているし、「何歳だからこんなことをするなんておかしい」と考える方がおかしい。
「いい年して年甲斐もなく」という言葉は「こうしたい」「ああしたい」という人間の欲求を封じ込め、可能性を奪い、成長を妨げる「呪い」のような言葉ではないだろうか?
■年齢に関係なく、周りの目を気にせずしたいことができる世界に
ある程度同年代の人の行為を気にすることは、いい刺激となり、競争力につながる。もしかしたら「年相応」という言葉にはそういう効果も期待されているのかもしれない。
しかし年齢のせいでさまざまなチャンスを諦めるというのは別の話だ。「いい年して変な趣味に没頭して」なんてとやかく言われる筋合いはない。高齢化社会が進むこれからの時代こそ、「いい年して年甲斐もなく」なんて言葉を無視して、好きなことをして、新しいことにチャレンジできる世の中になるべきだ。
いくつになっても、誰に何と言われようと好きな服を着ればいい。好きな音楽を聴けばいい。趣味があることは素晴らしい。それがどんな趣味であったとしても。好きな仕事をすればいい。好きな人と一緒にいればいい。そしていくつになっても、新しいことに挑戦することは最高にカッコいい。
年を気にして、周りにどう思われるかとか、いい年して失敗するなんて馬鹿じゃないかとか、そんな外野の意見に振り回されるべきじゃない。どんな年齢のどんな姿の人も受け入れてくれて、どんな挑戦も応援してくれて、どんな失敗も受け入れてくれる、そんな世の中になってほしいと思う。
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