125台のカメラで捉える嵐の人間性

――今回のツアーライブを撮影する上で一番意識したことはなんですか? 堤:さまざまなアーティストのライブを撮らせていただいた経過から言うと、とにかくカメラの台数です。予備など細かい台数を除いて、全体の使用台数は125台。その台数で収録するのはなかなかないことです。  かつてはお客さん全員に小さいカメラを持たせてプロモーションを撮るスタイルが1980年代にはありましたが、それとも全然違います。シネマカメラと呼ばれる映画用のカメラを使用したという点もありますし、ドルビーシネマという最高峰の映画館システムに対応するための撮影でもありました。技術的な優越性よりは、いかに余すところなく嵐を撮るかを大切にしていました。  表舞台に立つ姿から滲み出ている5人の人間性を撮りたかったし、ステージ上での彼らの動きに合わせたアングルを考えているうちに、もしかしたら途中125台でも足りないんじゃないかという気持ちになりました。5万2000人のお客さんと共存するカメラ位置で、嵐と嵐の人間性をきちんと収めたかったんです。 ――本編はライブ映像のみで構成され、まさに嵐とお客さんが一体化していましたが、オフショットや楽屋の風景を入れようとは思わなかったのでしょうか? 堤:何度かこのツアーを観ているうちに、僕の仕事は板の上に立っている彼らを余すところなくおさえることだ思い、オフショットやロケハン映像やMCなどはないほうがより鮮明に伝わるだろうなという思いが強くなりました。その思いはメンバー5人やスタッフとも共有し、編集が固まる段階においては、ライブ映像のみで潔くしようと、私の思いと全員の合意でそうなりました。  瞬間瞬間に垣間見えるアイコンタクトだったり、表情の変化だったり、手と手の重なり合いだとか、ステージライトの中で彼らの人間性を浮かび上がらせることに注力しました。

「ロック映画しか観ていなかった」学生時代

嵐を20年間、見守り続けた堤幸彦「売れっ子になったからといって、僕らから遠ざかる人たちじゃない」
(画像=『女子SPA!』より引用)

©2021 J Storm Inc.

――ライブ映画としては、マーティン・スコセッシ監督の『ラスト・ワルツ』(1978)などが有名ですが、監督にとってライブ映画とはどういうものなのでしょうか? 堤:ライブ映画が独特の存在感を持っていた頃から、僕のエンターテインメントへの関心は始まっています。古くは1969年、40万人を動員したウッドストックの伝説的なコンサートのフィルムです。照明も何もない暗いところでジャニス・ジョプリンが歌い、ジミ・ヘンドリクスがギターに火を付けたり。  逆に言えば、ロック映画しか観ていませんでした。中学生から大学生まで、所謂テレビドラマや映画は観ていないんです。『猿の惑星』(1968)など、話題になっているから常識として観に行くくらいのもので、あとはビージーズが主題歌だから、『小さな恋のメロディ』(1971)を観に行くくらいです。音楽と結びつきのないものには参加しなかったですね。  MTVもないインターネットもない当時の状況はありました。最高峰が、ウッドストックであり、レッドツェッペリン狂熱のライブと後に言われているライブ映画、あるいはエルヴィス・プレスリーのステージだったり、ライブ映画でしか情報を得られないんです。それから地方のヤマハで主催されるフィルムコンサートがあり、小さな会議室で上映されるローリング・ストーンズのライブ映像もありました。その時も何を観るかと言うと、ミック・ジャガーではなくて、後ろに並んでる楽器のつまみの位置などマニアックな視点でした(笑)。  だからロック映画というのは独特の祝祭的なもので、エンタメがない時に強烈にアーティストの存在を植え付けるものとして僕の中ではあります。今回の『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』は。アーティストとしてはもちろん傾向は違いますが、頭の記憶にずっと残る強いものでありたいと思いましたね。