(本記事は、中野祐治の著書『億を稼ぐ人の考え方』きずな出版の中から一部を抜粋・編集しています)
尊重はするが、アドバイスは聞くな
私たちは、生きているなかでさまざまな常識に縛られています。
そして、うまくいかない人、稼げない人ほど、その常識に振り回される傾向にあります。
この章では、そんな「常識」を見つめなおすことから、始めていきます。
まず、人生の先輩方を人として尊重することは大事なことです。
しかし、人として尊重することとアドバイスを聞くこととは別問題です。
たとえば、あなたが営業の仕事をしているとしましょう。
数字が伸びていない、結果を出していない先輩のアドバイスを聞きますか?
聞かないですよね。
そのアドバイスは、数字が伸びない、結果が出ないアドバイスだからです。
結果には原因があります。
その先輩のアドバイスが的確なら、先輩も結果を出しているはずです。
「失われた20年」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。
失われた20年とは、日本経済が、バブル期終焉後である1990年代前半から約20年以上にわたり低迷した期間をさします。
そして、ここからはさらに「失われた30年」になるのではないかと言われています。
日本はほとんど成長していないのです。
名目GDPで言うと、わずか1割程度の成長です。
ちなみに同じ時期にアメリカは3倍、中国は27倍の成長をしています。
世界上位60国を見ても、この期間に成長していない国は日本以外ほとんどないのです。
もしも、日本もほかの国と同じように成長し、学校の先生も会社の先輩も親も経済的に豊かという状態であるなら、先輩方のアドバイスを聞けばいいでしょう。
しかし、先輩方は伸びていないし、経済的に豊かになっていないのです。
「人生の先輩のアドバイスは聞くものだ」という常識から脱却する必要があります。
それは会社の先輩であっても、親であっても、学校の先生であってもです。
その方々がどれだけ人間的にいい人であっても、その先輩方が経済的に豊かになっていないのであれば、アドバイスを聞いてはいけないのです。
貯金なんてするな
日本人は貯金が好きだと言われます。
その常識は誰がつくったのでしょうか?
明治初期には、イギリスにあこがれてつくった郵政を成功させるためのプロパガンダ(特定の主義・思想についての政治的な宣伝)がおこなわれました。
昭和には軍費の財源確保のための、貯蓄奨励のプロパガンダがありました。
そして戦後はGHQもそれを利用しました。
結局のところ、日本人の現金預金主義は、為政者によるプロパガンダの名残りなのです。
たしかに私たちの親世代は、貯金をしておけば年間7%で運用ができていた時代でした。
預金や、預金代わりの保険での運用は正解だったのです。
しかし、これからの時代、貯金をしていて意味があるのでしょうか?
100万円を10年間預金しても、1000円しか増えない時代
日本のメガバンクの預金利率を見てみましょう。
預入期間は1か月物から10年物まで、預入金額は300万円未満から1000万円以上まで、とにかくすべての利率が同じ。
2020年1月時点で、年0・01%です。
このような状態なのだから、当然、10年物の定期預金を組むなんていうのは愚の骨頂と言えるかもしれません。
まして普通預金の利率は年0・001%。
これはもう、雀の涙と言わざるを得ないでしょう。
仮に100万円を1年物定期預金で10年間運用したとしましょう。金利水準は変わらないとします。さて、いくらになるでしょうか。
税引前で100万1000円です。利息はたったの1000円。
10年間も運用して、たったの1000円しか増えないのです。
これがマイナス金利時代の現実です。
もし時間外に何度もATMで預金を引き出したりしたら、その時点で利息以上のコストを支払うことになり、実質的に預金は元本割れしてしまいます。
こんな時代にまだ、貯金は美徳という常識に縛られていていいのでしょうか?
「常識は為政者やマスメディアが、誰かの都合にいいようにつくっている」と思ったほうがいいかもしれません。
ちなみに、2001年に確定拠出年金が始まり、2014年にNISAが始まり、ジュニアNISAというものまであります。現在、政府は貯蓄よりも投資を奨励しています。貯蓄の常識を投資の常識に変えようとしているのかもしれません。
私たちはそういったプロパガンダに、まどわされてはいけないのではないでしょうか。
かつての日本は高度経済成長期で、人口もどんどん増え、土地代も上がり続ける特殊な時代でした。住宅ローンで家を買った人は、土地と家の価値が上がり、買ったときよりも高く売れて、それによって財を成した人も多かったようです。
しかし、いまはどうでしょうか?
高度経済成長期でもなく、土地の価値がどんどん上がっていく時代でもありません。
買った瞬間から値段が落ちていくものに対して、長期ローンを組んで、莫大な借金をするのはいかがなものでしょうか?
日本はこれから人口がどんどん減っていきます。
ですが、新しいタワーマンションはどんどん建ってきています。どう考えても供給過多です。将来は空室だらけになり、資産価値が上昇するどころか、むしろ下落する一方です。
それなのに、
「賃貸住宅に居住していたら、家賃は毎月捨てているようなもの」
「同じくらいの金額の負担をするのであれば、持ち家に払ったほうが資産になる」
などの常識を、誰かが刷り込んできたのです。
とりわけ、近年都心部に続々と建設されたタワーマンションは、都心居住の象徴として人気が高いです。タワーマンションを買った多くの人が、将来自分が手に入れたマンションが値上がりすることを期待しているといいます。
本当に「将来資産になる」のでしょうか。
私はあるとき、都内のとある湾岸タワーマンションを「買った場合」と「賃貸の場合」でシミュレーションしてみたことがあります。
こまかい数字は省略しますが、とあるタワーマンションの一部屋を買った場合は「8587万円」でした。
これが賃貸住宅の場合、住んでいるマンションは自分の資産にはならないものの、25年間で「6250万円」の賃料を支払うだけで済みました。
さて、本当に大事なのはここからです。
賃貸より25年間で約2337万円も多くのお金をつぎ込んだとしても、「26年目からは自分の資産になる」というのが〝持ち家有利論〟の根拠となっています。
たしかに、賃貸住宅は26年目以降も賃貸住宅です。
しかし25年後、ついに自分のものとなったマンションは、どんな資産になっているのかということに想いをめぐらす人はあまりいないようです。
ローン完済後にそびえ立つのは、経年劣化著しい「築25年のマンション」です。一部のブランド立地のマンションを除いて、資産価値が上昇する可能性がほとんど期待できないなか、(資産価値を維持向上させる)修繕工事のための追加費用が必要になります。
入居者世帯も、25年もたてば時代の変化の波にさらされる。全員が同じように希望を持って取得した湾岸タワーマンションも、すっかりコモディティ(汎用品)化していることでしょう。
建物代が不動産価値の多く(試算では4分の3)を占めるタワーマンションは、25年もたてば、劣化によりその価値が半分以下になっていても不思議ではないのです。
純粋に資産価値に重点をおいた「投資」として捉えた場合、25年後に取得額を維持できず、場合によっては半額くらいに元本が減じてしまう投資商品は、本来誰も買わないでしょう。