2022年8月19日より、斉藤ひろしの同名小説を原作とした映画『ハウ』が公開されている。
本作のビジュアルを観た瞬間に脊髄反射的に「あっ大好き」とならざるを得なかったのは、田中圭×大きいワンコという、この世の桃源郷のような組み合わせである。実際の本編でも、この両者がたわむれる瞬間の幸福オーラがとんでもないことになっていたので、田中圭ファンは明日地球が滅亡するとしてもスクリーンで見届けてほしい。
そして、実は作品の特徴上「田中圭がいないシーンが多い」ことも重要だった。これを聞いても、田中圭ファンはガッカリしないでほしい。むしろその逆だ。「田中圭不在の時間があってこその田中圭の映画」になっていたのだから。その理由を、以下より解説していこう。
未来永劫分かり合えない「結婚直前の田中圭を捨てる女性」
メインの物語を紹介する前に、どうしても言っておきたいことがある。それは、田中圭ファンにとって(そうでなくても)、分かりあえることが未来永劫ないと断言できる、「映画開始数分で田中圭を捨てる女性」が登場することだ。
その女性は「もともと好きだった男性が他にいた」から、自身との結婚式を挙げる直前の田中圭を土壇場でフッたのだという。ちょっと待てと、まず前提として、あなたの目の前にいるのは田中圭じゃないかと。
しかも(情けない男だと原作小説から容赦なく書かれていたりもするが)性格は優しくて、市役所勤めの公務員で安定していて、一軒家もローンで買っていて、30代半ばの清潔感のある男性というハイスペックじゃないかと。今は多様性と相互理解の時代だとわかっているのだが、これほどまでに理解できない価値観がこの世にあるのかと驚きを隠せなかった。
とはいえ、その「田中圭を捨てるなんて許せねぇ……!」という怒りと呆れを超えて憎しみまでもを生み出す描写は、もちろん意図的なもの。この冒頭の物語上のフックがあってこそ、まさに人生のどん底を迎えた主人公にとことん感情移入できるのだから。
この世でもっともうらやましいワンコだった
そんな不憫を超えて絶望の中にいた主人公にやってきたのは、上司から紹介された、飼い主に捨てられて保護犬になっていた真っ白な大型犬だった。その犬はワンと鳴けず「ハウッ」というかすれた声しか出せないことから「ハウ」と名付けられた。
その後はハウとの共同生活が始まるのだが、初めは戸惑っていた主人公が、とびっきり人懐っこいハウにメロメロになっていく過程を、田中圭ファンには脳裏の裏の裏まで刻み込んでいただきたい。
筆者は心の中で「ありがとうございます」と拝みながら観ていたし、なんなら自分をハウに投影して田中圭に擦り寄る妄想をすることだってできるはずだ。田中圭とイチャイチャするワンコが、この世でもっともうらやましい生物であることは間違いない。
田中圭の「折り合いをつけるしかない」名演
だが、ある日ハウは突然姿を消してしまい、無情にも「ハウによく似た白い大型犬が事故死した」という情報も告げられる。実は偶然のアクシデントが重なり、本物のハウは青森まで運ばれてしまっていたのだ。ハウは青森から横浜、実に798キロにおよぶ道のりを目指すことになる。
重要なのは「ハウは生きている」という事実を主人公が「知らない」ことだろう。愛犬を失った彼は、結婚間近の恋人に捨てられた時よりもさらに絶望しているので、観客は「ハウはあなたのためにがんばって旅をしているんだよ!」と、その「もどかしい」気持ちも含めて、ハウおよび主人公を心から応援できるようになっているのだから。
その田中圭の演技がまた素晴らしい。いつまでも死んだ(と思い込んでいる)犬にしがみつくわけにはいけないと心の中ではわかっているが、簡単に吹っ切れるわけがない。職場でデリカシーに欠けた言葉をかけられたり、SNSで応援の声をもらったりもしているが、最終的には自分の中で折り合いをつけるしかない。そうした沈んだまま揺れている感情の機微も、田中圭は悲しみと苦しみを主体とした、微細な表情の変化によって表現していたのだ。