長野市の南部に位置する松代(まつしろ)は、真田十万石の城下町。太平洋戦争末期、この地で秘密裏に実行されていた事がありました。日本が歩んできた歴史を、平和の大切さを、改めて問われる場所「松代象山地下壕」をご紹介します。
松代象山地下壕(まつしろぞうざんちかごう)とは?
松代象山地下壕とは、太平洋戦争末期、善光寺一帯に分散して作られた地下軍事施設群の一部で、現在公開されている施設のことです。松代大本営地下壕として、松代町にある象山(ぞうざん)、舞鶴山(まいづるやま)、皆神山(みなかみやま)の三つの山を中心に造られました。
本土決戦の最後の拠点として、大本営や政府機関を移すための地下壕が、極秘で建設されたのです。松代大本営の地下壕には、皇居、政府の主要部、日本放送協会海外局(ラジオ)など、天皇制国家を支える中枢機関がまとめて移転する計画でした。
松代象山地下壕があるのは?
上信越自動車道・長野ICから間もなくの場所にあります。JR長野駅からなら、車で約20分の場所です。地下壕建設にあたって、現在の長野市松代地区が選ばれた理由は、鉄路があり、物資の輸送ができることや、岩盤が固く爆撃に耐えられるなど、いくつかの利点から決定されました。理由の一つには、「信州」が「神州」に通じるという理由もありました。
工事はこうして進められた
約13kmにも及ぶ巨大地下壕は、1944年11月11日から1945年8月15日の終戦の日まで、突貫工事で行われました。驚くことにおよそ9か月で全行程の8割が終了していたそうです。工事に動員されたのは、地域の人々をはじめ、その数6千人ともいわれる朝鮮人労働者で、多くは強制的に動員されたようです。岩盤が堅いため、時にはダイナマイトを使用した危険な作業が行われ、工事による犠牲者も多く出ています。
松代象山地下壕見学の流れ
象山地下壕見学前に立ち寄りたい「もうひとつの歴史館・松代」
象山地下壕入り口の右隣にある建物は、市民グループの運動と募金により、1998年にできた施設で、こちらは有料ですが、見学前に立ち寄ると、とても詳しく、判りやすく説明して頂けます。館内には、工事で使用されていた工具やカンテラ、大本営跡の図解説明なども見ることができます。
長野市 / 博物館
住所:長野県長野市松代町西条479-13
電話:026-278-7746
松代象山地下壕内部の様子
松代大本営地下壕の中で現在見学できるのは、象山地下壕。総延長6km弱のうちの、500mが一般公開されていて、第3火曜と年末年始以外の9~15時半の時間内なら誰でも無料で自由に入れます。受付前に用意されているヘルメットをかぶっての見学となります。
500mなのに、果てしなく遠く感じる道のりです。細い空間を抜けると予想以上に広く、長く、感じます。場所に寄りますが、幅5m、高さ3mほどはあるでしょうか。碁盤の目のように掘り進められた岩盤には、手掘りのあとや、目印などもあり、薄暗く寒い中で、昼夜を問わず働かされたであろう、壮絶な苦労が偲ばれます。
大本営舞鶴山(まいづるやま)地下壕跡/松代地震観測所
象山地下壕を出て、南東の舞鶴山のふもとには、現在、気象庁の松代地震観測所があります。この建物は、天皇御座所、皇后棟、宮内省棟が移転することを想定して建設されたものです。山裾にへばりつくように建つのは、空襲を想定しており、当時はこの上に土をかぶせて山と同化させ、カモフラージュしていたそうです。
この場所は、1945年8月のポツダム宣言受諾により、進捗率75%で工事は中止されました。現在、内部は見学できず、外からの見学のみとなります。
長野市 / 遺跡・史跡
住所:長野市松代町西条3511
最後に
戦争の記憶は、日々風化しています。平和を願い、平和な世界を後世に語り継ぐ上での、貴重な戦争遺跡として、公開されているこの地を見学し、平和について、今改めて考えさせられる場所です。
松代象山地下壕の概要
入壕時間
9:00~16:00 (午後3時半までに入壕)
休壕日
○毎月第3火曜日(祝日の場合は、その翌日)
○年末年始(12月29日から1月3日まで)
料金
無料
長野市 / 遺跡・史跡 / 穴場観光スポット
住所:長野県長野市松代町西条479-11
提供・トリップノート
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