和歌山県紀の川市にある道の駅「青洲の里」では、世界初の全身麻酔手術を成功させた外科医「華岡青洲」について知ることができます。診療所兼住居「春林軒」で青洲の業績について学んだら、人気のランチバイキングも味わってくださいね。

和歌山県紀の川市にある道の駅「青洲の里」

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

青洲の里は、和歌山県北部の紀の川市にある道の駅です。江戸時代にこの地で生まれた外科医「華岡青洲」の業績をたたえる施設として開設され、2015年11月には道の駅として登録されました。

敷地内には、青洲の建てた診療所兼住居「春林軒」(復元・移築)や、バイキングレストラン、売店、展示室を備えた「フラワーヒルミュージアム」のほか、季節の花が咲く公園もあります。ドライブの途中に立ち寄るのに適しており、休日を中心に多くの人が訪れています。

華岡青洲とは

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

華岡青洲(はなおか せいしゅう)は、通仙散(つうせんさん)という麻酔薬を発明し、世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術を成功させた、江戸時代の外科医です。

青洲は、宝暦10年(1760年)、現在の和歌山県紀の川市に生まれました。父も医師であったため、小さいころから病や怪我で苦しむ人を見て育ち、自分も医師になり人の命を救いたいという思いを抱いていたそうです。

23歳の頃には、医学を学ぶため、京都へ赴きます。ここで、古医方や外科を学んでいた頃、昔、中国の華陀という医者が麻酔薬を使った手術を行い、多くの人を救っていたという話を耳にします。

青洲は、自分も麻酔薬を作り、多くの人を救いたいという気持ちが強くなり、3年間猛勉強をして故郷に帰りました。その後は父の後を継ぎ、患者の治療を行いながら、新しい治療法や麻酔薬の研究に打ち込みました。

麻酔薬の研究について、詳しい記録は残っていないそうですが、動物実験と人体実験により、安全性や効果を確認したと考えられています。この人体実験では、母と妻が自分の体で実験を行うよう申し出たため、麻酔薬を飲ませたと伝わっています。

文化元年(1804年)には、ついに麻酔薬「通仙散」が完成し、青洲は世界初の全身麻酔による乳がん摘出手術を成功させました。この偉業は全国に知れ渡り、多くの難病患者や青洲の医術を学ぼうとする医学生が、この地を訪れたそうです。

青洲はその後、診療所と医学校、自らの住居を兼ねた「春林軒(しゅんりんけん)」を建てました。この建物で、患者の命を救いながら、多くの門下生に医術を教える日々を過ごします。全身麻酔薬の発明により、多くの人の命を救い、優秀な医者を多数世に送り出した青洲は、天保6年(1835年)10月2日、76歳でその生涯を終えました。

春林軒(住宅兼診療所)を見学しよう

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

青洲の住居兼診療所・医学校であった春林軒を見学してみましょう。8つある建物の多くが、発掘調査の資料に基づいて復元されたものですが、主屋と倉庫は当時のものを修理し、公開しています。こちらでは、その一部を紹介します。

南長屋(内塾・薬調合所・薬貯蔵所)

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

南長屋は、主屋の南側にある建物です。こちらには、内塾と呼ばれる門下生の部屋、薬を調合するための炉がある「薬調合所」などがあります。平屋建てで、面積は約97平方メートルです。

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

こちらが門下生部屋です。簡素な教室という雰囲気で、机は一つあるだけです。見学者の来場をセンサーが感知し、青洲が門下生に語り掛ける音声が、この地方の方言で聞こえてきます。

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)
【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

門下生部屋の隣には、薬調合所や貯蔵所があります。乾燥した薬草も展示されており、青洲が薬草の収集や調合に励んでいた様子が想像できます。

三病室

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

三病室は、三部屋に分かれた病室のある建物です。患者はこちらの部屋に入院し、青洲の治療を受けていました。狭い部屋ですが、しっかりとした壁で仕切られており、安静が保たれるようになっています。

この部屋の南には、浄化槽がありました。馬洗いの水や風呂の排水を浄化していたそうです。また、防火用水として使用するための水溜も設置されていました。

主屋

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

主屋は、春林軒の中心的な建物で、診療所と住居の機能を持っています。面積は約215平方メートルあり、二階建てです。大正の頃に、すぐそばの旧粉河町に移築されましたが、平成9年の春林軒再建の際に状態が良かったため、ふたたびこちらに戻されました。

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

こちらは、主屋内にある診療控室です。現在の病院、診療所にある待合室に相当します。すぐそばには、板間の茶室や炊事場もあり、主屋が多くの機能を持つ建物であったことが分かります。

米倉・看護婦宿舎

【和歌山】道の駅青洲の里で、外科医「華岡青洲」について知ろう
(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

米倉・看護婦宿舎は、米倉と宿舎を兼ねた二階建ての建物です。建物の西が米倉、東が宿舎となっていました。こちらでは、現在の看護師にあたる女性が寝起きしていたそうです。二階の窓からは、主屋の大きな屋根が見えます。

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(画像=ゆきたか トリップノートより引用)

春林軒の蔵は、主屋の北西にあり、薬草等を保存するために使用していました。春林軒完成当時から唯一残っていた建物で、面積は約45平方メートルです。この蔵の壁板には船底に使用されていた厚い板が使われていますが、現在は保存のため、新しい板で覆われています。