俳優と役柄が表裏一体になるスタイル
物語は、隣国・魏が行軍を開始したことからはじまる。最前線である蛇甘(ダカン)平原の丘を占拠され、不利な戦況にも関わらず秦国は歩兵隊を突撃させる。矢面に立つのはもちろん信だ。合戦の合図で先頭を走りだした信は、誰よりも早く敵陣に突撃。守備を固める敵の頭上高く飛び上がり、空中から剣を打ち下ろす。これが信の必殺スタイルだ。
先頭部隊がひるんだところを信は構わずに押しに押す。一見、無謀に思えるが、山﨑が信を鼓舞し、信が山﨑を支え、俳優と役柄が表裏一体になるスタイルともいえる。
基本的に山﨑の演技は、山﨑その人が役柄を超えてせりだしてくる。前作ではそれが如実だったけれど、今回は、何よりも役柄に歩みよろうとしている。すると逆に役柄が山﨑本人の魅力を滲ませようとして、山﨑を前に押しだす。信役を演じるにあたって、山﨑がどれだけ役柄と向き合い、対話を重ねたかがわかる。俳優と役柄との関係性で、これ以上に良好で、愛のあるものも他にないと思う。
その意味で、これを単純に山﨑のはまり役だとか、新境地と表現するには、言葉が足りない気がする。なにせ、山﨑の並々ならぬ決意と覚悟を感じるこの役柄と演技に向き合うのだから、筆者はできる限りの言葉を尽くす必要性を感じるからだ。
演技のお手本のようなバランス力
最前線での好戦むなしく、魏の戦車隊の急襲により信を含む歩兵隊はほぼ全滅する。日が暮れた戦場では、残党狩りがはじまりさらに苦戦を強いられる。ところが、同じ村の仲間である尾平(岡山天音)が敵に囲まれたそのときだった。まるで亡霊のように佇むだけだった謎の参戦者・羌かい(清野菜名)が敵を一網打尽に。がむしゃらな力技で敵をねじ伏せていく信に対して、華麗な舞を舞うように敵の懐に入り込む羌かいは、真打ち登場といったところか。
ここはさすがの信もあっけにとられて黙ってみつめるしかない。羌かいの演舞に魅せられる彼のこういう受け身の表情も悪くない。激戦場面が続く本作の箸休めとしては、あまりに贅沢な場面でさえある。
いやむしろ、ほとんど攻めの一点張りだった信が、ある瞬間には受けに転じるこうした場面にこそ、山﨑の輝きがあるともいえる。信はそれでいて次の瞬間にはまた攻めに戻る。攻守の演じ分けとその配分は、演技のお手本のようなバランス力だ。