歌舞伎座で初の主役『信康』

染五郎さんは悲劇的に死ぬ役が多く、前述した『勧進帳』の義経のほか、『二条城の清正』で演じた秀吉の息子・秀頼もまた悲劇の最期を遂げる。そして、目下、歌舞伎座で初の主役をつとめている六月大歌舞伎 第二部『信康』もまた悲劇の主人公だ。なぜ、市川染五郎には悲劇の死が似合うのだろう。それは彼が美し過ぎるからに違いない。

『信康』(作:田中喜三 演出:斎藤雅文)の概要はこうだ。徳川家康(松本白鸚)の息子・信康(染五郎)は21歳。若く血気盛んで、織田の手を借りずとも徳川だけで宿敵・武田を討つ野望を持っている。だがそれを織田信長に知られたら大変だと側近たちは心配する。

信康の妻・徳姫(中村莟玉)は信長の妹。彼女は義母(中村魁春)との折り合いが悪い。嫁姑問題に業を煮やし、妻が兄・信長に書いた手紙が発端となって信康の運命の歯車が狂い始める。前半ははつらつとした信康が、後半は憂いに満ちた表情になっていく。

『信康』は過去2回しか上演されたことのない希少な作品。だからなのか長い年月、演じ続けてきた伝統の重みをしっかり堪能するというよりは、転落していく若者を描いた青春映画のような趣を楽しむ感じがあって、歌舞伎に馴染みのない人にも見やすいような気がした。とりわけ17歳の染五郎さんが21歳の青年を演じるということでリアリティーがある。だが、ラストは祖父・白鸚さんが圧倒的な歌舞伎俳優の技と華を見せ、それに後押しされるように続く染五郎さんの仕草も錦絵のように鮮烈だった。

人類の悲しみを一心に背負って演技する少年のよう

ネタバレになるが、信康は死ぬ。義高に次いでまた死ぬ。だが、その表情があまりにも美しくて、昔の人がなにかあったときに神様に生贄(いけにえ)を差し出すという残酷な行為の意味がわかるような気がしたのだ。最も新鮮で貴重な美しい人間と引き換えることで人々が救われるのではないか。そんな想いにかられることも無理もないかもしれない。

とはいえ、実際にそんなことしていいわけはない。そんなときこそ“演劇”である。迫真に近い演技で、美しい少年が舞台の上で死ぬ。それによって観客は涙してすっきりするし、神様も満足する。人間はそうやって厄災を遠ざけて来たのではないか。

なかなかそれにふさわしい神様が愛するような、ギリシャ神話におけるナルキッソスのような少年はいない。そこに出現したのが市川染五郎だ。彼が舞台上で毎日、死ぬことは、ある種、祈りの儀式のようになっている気がする。あくまで演劇の上で。ここが重要。

人類の悲しみを一心に背負って演技する少年。そんな妄想が浮かんでしまうほどの逸材なのだ。頑張ってくれ、市川染五郎。

『信康』は6月27日まで。

<文/木俣冬> 木俣 冬 フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

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