6月3日より『冬薔薇(ふゆそうび)』が公開されている。本作は、簡単には許されない過ちを犯した伊藤健太郎の主演映画であり、復帰作となる。
©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
特筆すべきは、その過ちを犯した後の伊藤に脚本を“当て書き”’(=俳優をあらかじめ決めてから脚本を書くこと)したことだろう。
その役柄にはある種の“容赦のなさ”があると同時に、彼の“これから”を鑑みた作り手の優しさ、そして俳優としての力を改めて思い知ることができた。映画の魅力と共に、その具体的な理由を記していこう。
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中途半端なダメ人間の主人公
あらすじはこうだ。25歳の青年・淳は服飾の専門学校に在籍はしているものの、ロクに授業には出ず、地元の不良仲間とつるんでばかりいた。揉め事のために足に大怪我を負った淳がいつも以上に怠惰な日々を過ごしていると、仲間が襲われる事件が起きてしまう。淳が知らされた犯人像は、意外な人物だった……。
劇中で伊藤健太郎が演じている主人公は、何においても中途半端なダメ人間だ。これまで定職に就いたこともない。口先でデザイナーの夢を語っているだけでそれに見合う努力もしない。経営悪化と後継者不足に悩む両親の仕事にも我関せずでカネだけはせびる。
序盤から中盤にかけては、心の底から「どうしようもないなコイツ」と思ってしまいそうなほど、好感を持てる部分が良い意味で見つからない。
犯罪サスペンスや群像劇の要素も
そんな主人公の心境や、周りの人間との関係がどのように変化していくのか(または変化しないか)が、『冬薔薇』の見所だろう。しかも、先が気になる犯罪サスペンスも展開し、クスッと笑えるユーモアもあるなど、鬱々とした人間ドラマに留まらない要素も多い。まずは“面白い”内容を期待しても裏切られることはないはずだ。
また、ダメなのは主人公だけでない。その両親、はたまた不良グループの面々も、家族や友人との関わりがギクシャクしていたり、生き方に自信が持てていないように見える。主人公のダメ人間ぶりが何よりも目立ってはいるものの、全体的にはさまざまな「何かの欠落を抱えた人たち」が織りなす群像劇となっているのだ。