(本記事は、石原加受子氏の著書『「自己肯定感」の高め方~「自分に厳しい人」ほど自分を傷つける~』、ぱる出版、2018年9月22日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

【『「自己肯定感」の高め方~「自分に厳しい人」ほど自分を傷つける~』シリーズ】
(1)将来の不安を一瞬で打ち消す言葉とは?
(2)「自分が変われば周りが変わる」が間違いを起こしやすいワケ

※以下、書籍より抜粋

自分が変わったほうが早い

自分中心心理学では、

「相手を変えるよりも、自分が変わったほうが早い。自分が変われば、その結果として、相手も変わらざるを得なくなる」

という考え方をしています。

たとえば、あなたが、これまで家族のために自動車を運転して駅までの送り迎えを日課にしていたとしましょう。けれども朝夕の一番忙しい時間帯の送り迎えを続けるのは大変です。

あなたは疲れ果てていますが、それを当然のように思って感謝もしない家族に苛立っています。

この状況を変えたいなら、運転を続けながら家族に愚痴や文句や嫌みを言うよりは、きっぱり送迎をやめる、これが自分中心心理学の考え方です。

相手にもっと思いやりを持って欲しい、こちらの大変さを理解して欲しいなどと、相手が変わることを望むより、「自分が変わったほうが早い」のです。

家族なんだから、「送り迎えの大変さをきちんと説明すれば、もっといい解決法が見つかるのでは?」という考え方もあるでしょう。

でも、言葉というのは、実に曖昧なものです。私たちは、全ての物事に対して、それぞれに自分固有の捉え方、見方をしています。

一つひとつの言葉に対してもそれは同じです。

しかし、固有の捉え方、見方というのは、目の前にある具体的なモノとは違って、これを取り出して相手に見せることはできません。

そのため、お互いの捉え方、見方が、どこまで一致しているのかを確かめる作業は、得てして想像以上に困難で、手間と時間を必要とします。

たとえば、

「どんな家族を理想としていますか」

と尋ねれば、

「みんながそれぞれお互いに理解し合い、いたわり合い、助け合うような家族です」

といった模範的な返事がなされるかもしれません。

けれども現実はどうでしょうか。

言葉の上では、家族のみんなが同じような理想を持っているはずなのに、実際は各自がバラバラに自分が描く理想を相手に押し付け合って、「争ってばかりいる家族」となっているかもしれません。

人によって物事の捉え方、見方は異なっていることを知らなければ、言葉の上では同じ理想を家族全員の目標にすることはできても、「実際には、どうしたらいいか、わからない」ということが起こってしまうのです。

「わかり合う」ことの難しさ

どうしてお互いに争ってしまうのか。

これはなかなか難しい問題です。

日常的に争い合ってきた人ほど、その理由がわからないはずです。「自分が我慢しないから、争いになるんだ」などと間違った思い込みをしている人もいれば、反対に、「自分はいつも我慢しているのに、争いになる」と思い込んでいる人もいます。

人は、自分が経験した物事から学んでいきます。

これは逆に言えば、自分が経験していないことは、学ぶことができないということです。

家庭の中で、日常的に「争い合う」場面が展開していれば、「争い合う」方法は体験的に知ることができます。

しかし、家庭の中で「わかり合う」場面を経験したことがなければ、「わかり合う」方法を学習することはできません。

ですから、どんなに「理想の家庭」のイメージを抱くことができたとしても、「わかり合う」方法を知らなければ、それを実現させるのは難しいでしょう。

それぐらい、学習の影響は大きいものなのです。

物事の捉え方、見方が人によって異なるのも、学習の結果による部分が少なくありません。

実は、「自分が変わる」という言葉の意味の捉え方も、人によって大きく異なってきますが、それもこうしたことが原因で起こります。

自分中心心理学の考え方において、人間関係の問題で「自分が変わる」ことをすすめるのは、単に「自分が変わるほうが問題の改善や解決が早いから」というのが最大の理由です。

ところが、「~しなければならない」と自分を厳しく縛る人は、「自分が変わる」ということを、

「自分が間違っているから、自分を正さなければならない」
「自分の能力が足りないから、我慢して努力しなければならない」

と解釈してしまう人が圧倒的に多いのです。