中山道の宿場町であった「福島宿」で、代官屋敷の御用達として、水車で製粉業を営んでいたのが「くるまや」の祖先。今では、自家製蕎麦の伝統を引き継いでいる老舗として超有名店です。歴史を感じながらお蕎麦を味わうことができます。
信州木曽路にある歴史深い【くるまや 本店】
木曽ならではの蕎麦が食べられる【くるまや 本店】は、とても歴史深い場所にあります。現在の住所は長野県の「木曽町福島」、通称「木曽福島」なのですが、ここはかつてから 信州木曽路 の 福島宿 と呼ばれている場所です。
「木曽路」って何?「福島宿」って何?
「木曽路」と言ったら「しゃぶしゃぶ」を思い浮かべますか(笑)? でも、この土地にしゃぶしゃぶは関係ありません。木曽路 は 中山道(なかせんどう)という五街道の一部です。
遡ること 江戸時代。初代将軍の徳川家康に始まり2代目の秀忠が、江戸の中心地「日本橋」から、主要な地方へと5つの道を整備しました。それが 五街道 といわれる、東海道、日光街道、甲州街道、奥州街道、そして 中山道です。中山道 は江戸から京都を結ぶ街道で、木曽川に沿って険しい山々を抜ける道が、木曽路 と呼ばれるようになりました。
では、徳川家康は何のために道を整備したのでしょうか?「みんなが旅しやすい素敵な日本にするために〜♪」…なわけありません。お江戸を防御するためです。
各地から江戸に来る怪しい輩は 関所 で取り締まる。また、政治的情報の伝達を早くするために、長い長〜い道の各所に 宿場町 を設置しました。
宿場町 は、旅人が長い旅路の合間にゆっくり休憩できる場所としても重要な役割を果たしましたが、幕府にとっての目的は「馬が伝える」と書いて 伝馬 。今でいう リレー や 駅伝 の大元ですね!
当時は馬が最速の手段でしたが、馬だってバテます。江戸から京都まで走らせたら死んじゃいます。だから、宿場町でバトンタッチ!そこにいる元気な馬がバトンを受けて、情報を伝達していく…という重要なポイントだったわけです。
今でも全国各地に「○○宿」と呼ばれる名所が遺っており、【くるまや 本店】がある 福島宿 もその一つ。さらに、福島宿 は、中山道の 関所 でもありました。その責任者として、江戸幕府から任されたのが、名武将の 山村 良勝。今でも立派なお屋敷 「山村代官屋敷」 が遺っています。
【くるまや】は山村家に仕えていた製粉・精米屋さんだった!
【くるまや 本店】に話を戻すと、ここの家は代々、その山村代官の屋敷に仕えていた 製粉・精米屋さん だったのです。当時は製粉・精米のために「水車」の回転を動力源にしていました。それがいわゆる「水車小屋」。木曽川の豊かな水源を利用していたのですね。
その頃から、水車の “車” にちなみ「車屋」と呼ばれるようになり、古くから「くるまや」が屋号に。明治に入ると、自家製のそば粉を使った手打ちそばが評判を呼び、その歴史が絶えること無く現在に至ります。
2019年にリニューアルオープンするも明治らしい佇まい
「くるまや」の旧家はダム建設のためなくなってしまいましたが、現在のお店も 明治43年(1910年)からあった建物を譲り受けたもので、とても年季が入っています。
全座敷だった店内は、2019年にリニューアルしてテーブル席を設けましたが、モダンながらも明治の雰囲気が漂います。座敷ももちろん残されています。
蕎麦屋定番のメニューはどれも美味しそう!
お蕎麦のメニューはほとんどが写真付きでわかりやすい!温かい蕎麦、冷たい蕎麦、要予約のコースもあります。ホームページ にも細かくメニューを紹介されているので、ぜひご参照ください。
ざるそば と もりそば の違いについては度々話題になり、蕎麦の歴史をたどると奥深いのですが、現在一般的には ざるそば は海苔がかかっている蕎麦、もりそば は海苔がない蕎麦です。
また、蕎麦屋独特の表現「天ぬき」というような「○○ぬき」とは、お寿司の「さびぬき = わさびは別に添えていますよ」と同じような意味。例えば「天ぬき付き ざるそば」なら、別皿に天ぷらを添えていますよ、という感じでしょうか。
なお、現代では「○○ぬき」というメニュー表記は蕎麦屋さんによって扱いが異なり、「抜き = 無い」という意味で使っているお店もあるのでご注意ください。