|足軽屋敷で当時の生活に触れる

長町武家屋敷跡にある足軽資料館は、足軽屋敷を移築した建物。戦国時代には、農村から徴募した雑兵ではなく、専門的な訓練を受けた足軽を大名が抱えるようになり、平時は事務員や番人、警備警察要員といて用いられました。今風に言えば、平時は公務員、戦時は戦闘員となる職です。

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】1.jpg
(画像=beauty news tokyoより引用)

▲かって足軽の家だった「金沢市足軽資料館」。500坪ほどある武家屋敷に対して、足軽屋敷は庭も含めて50坪ほど。この足軽屋敷は、昭和の中頃まで民家として使われていたそうです

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】1.jpg
(画像=beauty news tokyoより引用)

▲一般市民や足軽階級の家は、屋根に石を置いた「石置き屋根」でした。現在金沢市内には石置き屋根の家が3軒だけ残ります

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】1.jpg
(画像=beauty news tokyoより引用)

▲足軽屋敷「金沢市足軽資料館」は無料で見学ができます

意外に羨ましい足軽生活! 縁側があったり、住民用とお客さん用の2つのトイレがあったりと、思いのほか広い建物です。屋根は石が落ちないように勾配がゆるやかな半面、雪かきが必要で、雪を降ろす場所として庭がありました。

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】1.jpg
(画像=beauty news tokyoより引用)

▲台所には竈(かまど)があります

|意外に面白い立ち寄りポイント

長町武家屋敷跡のあるエリアには、立ち寄っておきたいスポットが点在しています。ここではちょっとおすすめの観光スポットやパワースポットを紹介します。

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】1.jpg
(画像=beauty news tokyoより引用)

▲「金沢市老舗記念館」

金沢市老舗記念館の建物は、1579年の創業以来、薬草や薬の製造販売を行ってきた「中屋薬舗」。明治11年創建の建物を移築して、1階に当時のお店を再現。2階は市内の老舗に伝わる生活用具や金箔、水引などを展示します。現在も中屋彦十郎薬舗株式会社として、記念館から徒歩数分の場所で営業しています。

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】1.jpg
(画像=beauty news tokyoより引用)

▲「聖霊病院聖堂」の内部はアーチが連なる天井がステキです!

工事中のため内部の取材ができなかったのですが、足軽屋敷の近くにある「聖霊病院聖堂」は、昭和6年に建てられたロマネスク様式の教会です。黒漆の柱や金箔を使った装飾、木のベンチの横に敷かれた畳など、金沢の伝統文化を採り入れた和洋折衷の造り。見学も自由にできます。

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】1.jpg
(画像=beauty news tokyoより引用)

▲縁切りと縁結び、両方の神様が同居する、松の木に隠れたパワースポット「貴船明神」。聖霊病院聖堂のすぐ近くです

現在の中央小学校のある場所に加賀八家のひとつ村井家(1万6500石)がありました。村井家の当主は浮気グセのある方で、奥方がこの場所に自分のかんざしを埋めて縁切りの願掛けをしたところ、見事叶ったと伝わります(諸説あり)。以来、縁切りの神様として、知る人ぞ知るスポットです。

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】1.jpg
(画像=beauty news tokyoより引用)

▲貴船明神の祠は、大きい方が縁結びで、小さい方が縁切り。お間違えなく

江戸時代は橋が架かっていなかったため、縁切りは堀(鞍月用水)の中を渡り、縁結びは崖から降りてお参りをしたそうです。現在は縁切りを望む方は香林坊側から向かい、縁結びは香林坊と反対方面から来てお参りします。間違うと一大事ですよ!