「関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~」が日本遺産に登録されたのは、平成29年(2017年)4月のことです。大小さまざまな船が行き交う関門海峡。その異国情緒あふれる景観の中、関門地域には今も、日本が近代国家建設へ向けて躍動した時代のレトロな建造物群が残されています。渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、そこで出合うことができるのは、映画のワンシーンのようなノスタルジックな街並み。まるで時が停止したかのような、不思議な感覚を味わうことができるでしょう。日本遺産の観光案内人が皆様を素敵な旅へとご案内します。

明治初期の開港以来、日本を代表する国際物流拠点として栄えた門司港。かつて、横浜、神戸とともに「日本三大港」の一つに数えられ、大商社や銀行が先を争って門司に支店を開設したといわれています。門司港には今も、明治から昭和初期にかけて建てられた歴史的な建築物が残り、往時の繁栄の様子を伝えています。大陸貿易の発展とともに賑わったのものが、ほかにもあります。料亭と花街です。門司には数多くの料亭があり、中でも清滝には10軒以上もの料亭が建ち並んでいました。芸子さんの数もおよそ200人、置屋も20軒以上あったそうです。

引用元:関門"ノスタルジック"海峡~時の停車場、近代化の記憶~

モデルコース(所要時間:2時間~4時間)

門司港駅 →徒歩3分→ 門司郵船ビル →徒歩3分→ 旧大阪商船 →徒歩1分→ ホームリンガ商会 →徒歩4分→ ブルーウィングもじ(跳ね橋) →徒歩10分→ 栄町銀天街 →徒歩3分→ 三宜楼 →徒歩2分→ 錦町公民館 →徒歩6分→ 旧門司三井倶楽部 →徒歩3分→ 門司港駅

門司港駅(旧門司駅)本屋

近代化へ急速な発展を遂げた日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る旅~門司~
(画像=『あそびのノート』より引用)

明治24(1891)年、九州鉄道の起点駅として開業した門司駅。現在地の200m離れた所から、大正3(1914)年に移転新築されました。2階建ての駅舎は、モルタル塗りの重厚感あふれるネオ・ルネサンス様式。現役駅舎としては、東京駅と並ぶ貴重な歴史的建造物です。昭和17(1942)年に「門司港駅」と改名。その後、老朽化に伴う全面保存修理工事を経て、平成31(2019)年3月10日にグランドオープンしました。1階にスターバックス、2階には2代目駅舎開業時を思わせる「みかど食堂(洋食レストラン)」が復活しています。

門司郵船ビル(日本郵船門司支店)

近代化へ急速な発展を遂げた日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る旅~門司~
(画像=『あそびのノート』より引用)

船と鉄道、海陸2つの路線が交わる門司港駅の正面という好立地に、日本郵船門司支店として建てられた鉄筋コンクリート造4階建て。昭和2(1927)年に竣工した門司港地区初のアメリカ式オフィスビルです。見どころは、アール・デコの影響を受けた細部のデザイン。玄関ホールのモザイクタイルや階段の鉄製グリル、照明などに当時の面影が残っています。また鉄骨枠組みが露出した斬新なエレベーターがあり、竣工後は最新のエレベーターを見るための長蛇の列ができたと言われています。

北九州市旧大阪商船

近代化へ急速な発展を遂げた日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る旅~門司~
(画像=『あそびのノート』より引用)

門司港が大陸航路の一大拠点であったことを象徴する、海運会社・大阪商船の門司支店社屋。大正6(1917)年に竣工した木造、一部煉瓦型枠鉄筋コンクリート造2階建て。1階には待合室と税関の事務所があり、2階は事務室、3階には電話交換室や便所、倉庫がありました。特徴的なのは、2つの大きなアーチ窓があるゼツェシオン様式の塔屋。当時、関門一の高さを誇った八角形の塔の最上部はガラス張りになっており、海に近かったことから夜になると灯台の役割も果たしていました。

ホーム・リンガ商会

近代化へ急速な発展を遂げた日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る旅~門司~
(画像=『あそびのノート』より引用)

明治の日本貿易に大きく貢献した、イギリス人貿易商が長崎で設立したホーム・リンガー商会。戦時中に閉鎖された同商会で働いていた日本人従業員が、門司港で再開したのが「ホーム・リンガ商会」です。昭和37(1962)年に建てられた社屋は、白とピンクの淡い色調とシンメトリーな外観が印象的で、第3回北九州市都市景観賞(平成15年度)にも選ばれました。建物正面には「LLOYD’S AGENCY」という文字もあり、世界初の船級会社「ロイド船級協会」の日本代理店があったことを示しています。

ブルーウィングもじ

近代化へ急速な発展を遂げた日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る旅~門司~
(画像=『あそびのノート』より引用)

全長約108m、歩行者専用としては全国最大級のはね橋です。1日6回、水面に対して60度の角度で橋がはね上がります。橋が閉じて最初に渡ったカップルは一生結ばれると言われ、「恋人の聖地」にも選定されました。ライトアップされた夕暮れから夜にかけての美しさも格別です。

栄町銀天街

近代化へ急速な発展を遂げた日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る旅~門司~
(画像=『あそびのノート』より引用)

昭和32(1957)年にできた歴史あるアーケード商店街。どこか懐かしい風情が漂う約300mの通りには、昔ながらの商店や食堂、喫茶店、花屋などが並んでいます。一歩路地裏に入ると、昭和のムードが香る居酒屋や古い看板なども見られ、ディープな路地裏めぐりも楽しめます。

三宜楼

近代化へ急速な発展を遂げた日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る旅~門司~
(画像=『あそびのノート』より引用)

門司港の繁栄を象徴する高級料亭。現存する料亭の建屋としては、九州最大級の木造3階建てで昭和6(1931)年に竣工。一時は存続の危機に陥りましたが、地元有志による保存運動が起こり、見事に息を吹き返しました。平成26(2014)年には保存補修工事を終え、現在は老舗フグ料理店「春帆楼」の料理を楽しめる「三宜楼茶屋」として営業。3階には俳人・高浜虚子ゆかりの「俳句の間」があるほか、1階には展示室も併設されており、2階の大広間「百畳間」などは貸切中以外は無料見学できます。

錦町公民館

現在、公民館として使われている建物は、昭和12(1937)年に建てられたもの。当時は芸者・芸子さんがお披露目したり、取り次ぎや玉代の精算などをする「検番」と呼ばれる場所でした。大阪などから踊りや三味線の家元を呼び、家元直伝の芸を持っていることで人気が高かった門司港の芸者さんたち。最盛期には200人近くもいて、出光佐三ら財界人を楽しませたと言われます。

旧門司三井倶楽部 本館、附属屋

近代化へ急速な発展を遂げた日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る旅~門司~
(画像=『あそびのノート』より引用)

大正10(1921)年に三井物産の接客施設として谷町に建設。平成2(1990)年に北九州市が譲り受け、現在地に移築しました。接客用の本館は木造2階建てで、ハーフティンバーと呼ばれるヨーロッパの手法を採用。表出した柱や梁などの構造や、当時流行したドイツ壁と呼ばれるモルタル掃付け壁が表情豊かな外観を醸し出しています。屋根葺材や内装、建具など各部で緻密な修復が施されており、竣工直後の大正11(1922)年にアインシュタイン博士夫妻が宿泊した部屋も当時の姿に復元されています。

提供・あそびのノート

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