新潟観光というとスキーや温泉を思い浮かべる人が多いと思いますが、今回ご紹介する長岡もオススメ! 長岡は江戸時代に存在した長岡藩の城下町であり、その伝統が今にも受け継がれている街です。以下では、長岡について知るならぜひ訪れたい記念館や資料館をご紹介します!
【1】河井継之助記念館
長岡の偉人といえば、河井継之助! 彼の生い立ちから信条や名言、そして北越戊辰戦争について学べるのが、ここ河井継之助記念館です。
北越戊辰戦争の中心人物となってしまった河井継之助
歴史好きな人はよく知っているかもしれませんが、北陸のあまり大きくない藩であった長岡藩を有名にしてしまったのが、北越戊辰戦争でした。新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争のうちの一つである、長岡藩と新政府軍の戦いです。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」の言葉通り、結果的に新政府軍に負けた河井継之助は、長岡を焦土にして多くの人の命を犠牲にした人物というように認識されることもあります。しかし、司馬遼太郎の『峠』やそれを映画化した役所広司主演映画『峠 最後のサムライ』(2020年公開予定)等の影響もあり、河井継之助の功績が一般の人の中でも再評価されてきています!
現代のスイスのように、長岡を武装中立の藩として戦争に巻き込まないよう尽力した点は、先進的すぎた思考の持ち主であり、なおかつ平和を望んでいた河井継之助らしいです。
封建社会で大出世を遂げた河井継之助
わずか120石取りの家の出身だった河井継之助は、幼少より学問に励み、日本各地を遊学し、藩主に才能を認められて最終的には家老上席・軍事総督となりました。江戸時代の封建社会において、幕末の動乱期だったとは言え、ここまで大出世を遂げた人物も珍しいでしょう。
高い視座を持ち、思い切った藩政改革を断行した河井継之助の思想や行動からは、現代人も学ぶことが多くあります。ここでは書ききれないので、ぜひ河井継之助記念館を訪れてみてください!
【2】山本五十六記念館
長岡出身の歴史上の有名人としてもう一人忘れてはならないのが、太平洋戦争時の連合艦隊司令長官であり、元帥海軍大将になった山本五十六です。山本五十六記念館では、彼の人柄を偲ばせる手紙や写真などを見ることができます!
山本五十六は海軍きっての国際派
山本五十六は海軍内でも国際派としてのキャリアを積んできた人材で、国際的な視野を持ち、日米の国力差を熟知していました。とはいえ時代の流れには逆らえず、彼自身が真珠湾攻撃の指揮を執ることになりました。
山本五十六記念館の中央の空間には、彼がブーゲンビル島で戦死した時に乗っていた飛行機の翼の片方が置かれ、存在感を放っています。太平洋戦争という戦争の存在を実感する空間ですね。
戦時中の海軍の重要人物ともなると、後世では様々な意見があると思います。ただ、山本五十六の名言の一つである「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」 といった言葉などからは、現代人も学ぶことが多いでしょう。
近くには山本記念公園も
山本五十六資料館の近くには、山本五十六の生家やが復元されている山本記念公園もあります。生家の中には入ることができ、山本五十六の勉強部屋などの様子を見ることができます。
ちなみに、映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』のポスターが貼ってありました。この映画で山本五十六を演じたのは役所広司さんです。役所さんは、河井継之助と山本五十六という二人の長岡出身の偉人を演じているんですね!
【3】長岡戦災資料館
長岡戦災資料館では、戦時中の長岡の人々の暮らしや、1,488名が犠牲となった長岡空襲の被害について知ることができます。こじんまりとした資料館ではあるものの、展示は充実しています。
原爆を落とされた広島・長崎や東京大空襲のような、数万人単位の方が犠牲になった空襲は多くの人が知っていると思います。しかしそれ以外でも、日本の大都市から地方都市に至るまで数千人、数百人規模の犠牲者を出した空襲はたくさんあるのです。
その中の一つである長岡空襲について知ることが、日本の様々な地域で多くの被害があったことを知るきっかけとなり、戦争の悲惨さというものをある意味身近に感じられるかもしれません。