成長する韓国経済のシンボルとして建設された仁川大橋。斜張橋世界第5位の長さを持ち、2009年の完成後には交通の要所としてだけでなく、韓国の新名所となっています。その建設に日本の技術者が携わっていたのをご存知でしたか?サムスン物産の常務で技術顧問の田中洋さん。日本でも多々羅大橋、明石海峡大橋など名だたる長大橋梁の建設に携わってきた田中さんが、どのようにして仁川大橋のプロジェクトに参加するに至ったのか、プロジェクトでの役割、橋の基礎知識などについて、仁川国際空港から車で約25分のところにある仁川大橋記念館でお話を伺いました。

第53回~田中洋さん(サムスン物産建設部門)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

勤務先:三星(サムスン)物産建設部門顧問、成均館大学大学院超長大橋梁学科兼任教授
年齢:62歳(1949年生)
出身地:三重県
在韓歴:5年
経歴:大学院卒業後、日立造船株式会社に入社。此花大橋の設計主席を務め、以後、明石海峡大橋(世界一長大つり橋)、多々羅大橋(建設当時:世界一長大斜張橋)などの設計に携わる。明石海峡大橋の耐風設計において、田中賞(日本土木学会より橋梁・鋼構造工学に関する優秀な業績に対して授与される賞:論文部門)を受賞。2006年に仁川大橋プロジェクトのため来韓、設計・施工の技術支援を担当。2009年の仁川大橋完成後は、韓国国内の橋梁建設や海外プロジェクトを支援する他、成均館大学にて教鞭をとり、若い技術者を育成中。

韓国最大規模の仁川大橋建設のためヘッドハンティングで韓国へ

第53回~田中洋さん(サムスン物産建設部門)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

仁川国際空港のある永宗島(ヨンジョンド)と経済自由特区の松島(ソンド)新都市を結ぶ全長約12キロメートルの海上橋梁が仁川大橋です。中でも韓国で最長となる斜張橋部分(800メートル)の建設顧問としてきてほしいと施工会社であるサムスン物産からオファーがありました。この長さの斜張橋は韓国では初めてのことで、経験があり現場の指導やアドバイスが出来るという能力を見込み私に声を掛けたようです。
仁川大橋より先に建設された永宗大橋(仁川空港からソウルに行く途中にある)は大阪にある此花大橋がモデルになっています。そのためサムスン物産は何度も大阪に視察に来ていました。当時、私は此花大橋の設計者としてサムスン物産側の人々を現場に案内をしましたが、まさか将来自分がサムスンに行くことになるとは思いもよりませんでした。

また私は一時期、GPS津波計測装置事業に携わっており、その拡販のために韓国の海洋部を訪問していました。出張で訪れていたソウルは大阪とあまり変わらないという印象であったので、サムスン物産から誘われた時に韓国であれば生活面で大きなカルチャーショックがないだろうと予想できました。それに妻が韓国ドラマの大ファンだったので(笑)家族も賛成してくれ、韓国行きを決意しました。何より仁川大橋のプロジェクトは新しい技術を求めており、プロジェクトそのものに多くのチャレンジがあり、おもしろそうだと興味をひかれました。

橋の安全を握る「風」の設計を担当

第53回~田中洋さん(サムスン物産建設部門)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)
第53回~田中洋さん(サムスン物産建設部門)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

工事に携わった人たちの名前が刻まれた記念碑
仁川大橋の工期は2005年6月から2009年10月までの約5年ですが、構想から含めると10年以上の長い時間がかかります。明石海峡大橋は明治時代から構想が始まったと言われていますから、様々な条件によってはもっと長い時間がかかる場合があります。私は設計がすでに完了し、基礎工事が始まっていた2006年から参画しました。
仁川大橋のように大規模事業の場合は設計者といっても1人ではなくチームで行います。サムスン物産の設計チームだけでも少なくとも30人にはなります。また設計内容をチェックするコンサルタントが別にあって、電気、舗装など各部門別に分かれているので、設計関係者だけでも300~500人にはなりますね。 工事に携わった人たちの名前が刻まれた記念碑 また仁川大橋の12.3キロメートルは高架橋、アプローチ橋、斜張橋の3つの種類から構成されており、関係者は数千人に及んだでしょう。