若者を中心にパスタやイタリアンを楽しむ人が増えた最近の韓国。しかしほんの4~5年前をとっても、選択肢はかなり限定されていました。そんな中で、韓国の食材を生かしながらイタリアンのお店を始めようと日本から渡ってきた2人の兄弟がいます。端正な顔立ちも話し方もそっくり、一卵性双生児の木下大さんと木下太さんが今回の主人公。「対面して真面目な話をする機会なんてない」と照れくさそうに笑いながらも、お店の話になると情熱のこもった経営者の顔になるお二人に、ソウル近郊の富川(プチョン)にあるレストラン「Millefiori(ミルフィオリ)」内で話を伺いました。
※「Millefiori」は2015年8月に閉店しました。

第65回~木下大さん、木下太さん(レストラン経営)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

名前 木下大(きのした だい)
職業 パステリア「Millefiori(ミルフィオリ)」オーナーシェフ
年齢 30歳(1982年生)
出身地 秋田県
在韓歴 4年
経歴 株式会社「グローバルダイニング」系列のイタリアン「カフェ ラ・ボエム」で料理長と店長を兼任。2008年よりイタリア料理店・パステリア「Millefiori」代表兼シェフを務める。野菜ソムリエ(日本)資格取得。

名前 木下太(きのした たい)
職業 パステリア「Millefiori(ミルフィオリ)」理事、料理研究家
年齢 30歳(1982年生)
出身地 秋田県
在韓歴 10年
経歴 2001年より韓国に渡り、語学研修を経て2002年に成均館大学経済学部に入学。2006年に卒業後、東京都内の有名レストランで勤務。2008年10月より「Millefiori」理事を務める。

兄は料理、弟は韓国で過ごした大学時代

木下太さん(以下、太。敬称略)

第65回~木下大さん、木下太さん(レストラン経営)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

兄の大は代表兼シェフ、僕の肩書きは経営理事と料理研究家です。僕が韓国各地から見つけた食材を、兄が料理に変えるという役割分担をしています。

2人で京畿道(キョンギド)富川(プチョン)市に「Millefiori」を立ち上げたのは2008年、それまでの在韓歴は兄弟で異なります。

僕は2001年より韓国で勉強を始め、成均館(ソンギュングァン)大学に入学。2006年に卒業し、日本で数年働いた後に店舗立ち上げのために再び韓国に来ました。

木下大さん(以下、大。敬称略)

第65回~木下大さん、木下太さん(レストラン経営)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

僕は長期の韓国滞在は2008年のオープン時が初めてです。何度か遊びに来たことはありましたが、韓国語の学習経験もありません。

大学時代に始めたレストランでのアルバイトをきっかけに飲食業界を知り、22歳で東京のイタリアンダイニングの店長になりました。

当初シェフは他にいましたが、自分が料理を知ればこそ店もスタッフものびるのではという思いから料理人としての勉強を本格的に開始し、24歳には同じ店で店長とシェフを兼任するようになりました。

「店をやろう!」アツく語ったのはチムジルバンの中

第65回~木下大さん、木下太さん(レストラン経営)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

Millefiori
大:進路は別でしたが、実は大学生の頃からすでに、韓国で一緒に店をすることを決めていました。弟は卒業前に1年ほど富川に住んでおり一緒にチムジルバンに行ったのですが、高温サウナに入りながら話をするうちにのぼせてきて、「何の店かはわからないけれど、とりあえず韓国で店をやろう!」と決まりました(笑)。何も言わなくても互いの考えが分かる兄弟ならではの信頼関係もあり、そのときの約束は言葉だけに終わらず、数年後に実現するに至りました。比較的慣れた土地ということもあり、富川で開店しました。