群馬県太田市にある満徳寺は、江戸時代の幕府公認の縁切り寺として有名。現在でも縁切り、縁結びスポットとして多くの人が足を運びます。満徳寺の由緒や、現在でも残る少し変わった縁切り&縁結びの方法をご紹介しましょう。
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幕府公認駆け込み寺の満徳寺
日本に2つだけの駆け込み寺
江戸時代に男女の身分差が激しかった日本では、男性の不貞などから女性を救うための駆け込み寺の役割を果たし、夫との離縁を成立させてくれていたのが尼寺でした。鎌倉の東慶寺、そして太田の満徳寺、このたった二つが縁切寺として幕府に認められているお寺でした。
家康の孫千姫に由緒あり
この二つの尼寺が縁切り寺に認定されたのは、徳川家康の孫「千姫(せんひめ)」に由緒があります。
満徳寺には千姫自身が入寺したという説や、身代わり俊澄上人(しゅんちょうしょうにん)が入寺し住職になったという説など、諸説あり定かではありませんが、徳川家の姫に由緒があるということで縁切り寺として認められたのです。
満徳寺の寺格
尼寺であった満徳寺は、時宗で本山も末寺を持たない唯一の独立寺でした。幕府より高百石の朱印地を授与、徳川家に念仏回向し建築屋修復も幕府によって行われました。
檀家がないことから遺跡となり、現在の満徳寺は、太田市教育委員会が群馬県指定史跡、縁切寺満徳寺遺跡として管理しています。
縁切り寺、満徳寺内の施設
徳川幕府にゆかりのある満徳寺は、歴史的にも価値の高いことから1956年に跡地の一部が縁切り寺満徳寺遺跡に指定され、1992年遺跡公園が誕生しました。
遺跡公園内でみられる建造物
遺跡公園内には復元された本堂や玄関、門、底面が復元されています。
こちらが女性たちを救った駆け込み門。
寺役場などの跡地もあります。
そしてこちらが満徳本堂。
史跡公園ということもあり、園内はお散歩や散策、ウォーキングなどが無料でできるようになっています。
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