いい人たちだが元の婚家に縛られてしまいそうで
義両親 お小遣いをもらったというから、義母にはお礼のはがきを書いた。すると今度は、子どもたちにとお菓子やフルーツを送ってきた。それにも礼状を書いた。次は洋服が数着ずつ来た。そこに至って、彼女は元夫に「こういうことはやめてほしい」と告げた。
「義父母はいい人たちで、結婚しているときはいろいろ助けてもらったから、縁を切りたいわけじゃないんです。だけど恒常的につきあっていかなければいけないとなると、私は元婚家に縛られてしまう。
折りをみて会わせるし、子どもたちが大きくなって自分の意志で行くのはかまわない。だけど今は、子どもたちも離婚の影響を受けているだろうし、少し落ち着いた生活をさせてもらえないかと元夫に言いました」
それきり、義母からは何も言ってこなくなった。離婚して1年たったころ、リエさんは別れた夫とその両親、子どもたちと6人で食事をした。義両親はひどく喜んでいたという。
「たまにはこういうこともいいかもしれないと思いました。その後、コロナ禍で会えていませんが、もうじき義母の誕生日なので、また食事でもと思っています。子どもたちが望むなら、ですが」
元婚家に縛られていると思うより、「年に1度か2度、みんなで楽しい時間を過ごせばいい」と気持ちを切り替えることで、今は落ち着いているようだ。
別居中に義母がやってきて
現在、別居して離婚調停中のミサキさん(仮名・37歳)。29歳のときに6歳年上の男性と、知人の紹介で出会って1年ほどの交際を経て結婚した。
「ところがこの夫、モラハラがひどかった。共働きだからと夕飯にデパ地下の惣菜(そうざい)を買って帰ったら、『え? どうして?』と言われて。 『うちの母親も共働きだったけど、料理は全部手作りだった』と。私はそこまでできないと言いましたが、『だったら仕事をやめたら?』と言われました。
夫は国家公務員であることがアイデンティティになっている人で、民間企業でどうせたいした仕事もしてないんでしょと言われたこともあります」
モラハラ、離婚、破局、パワハラ 別れたほうが精神衛生上いいのはわかっていたが、立派な結婚式を挙げてしまった手前、すぐに別れるわけにもいかないと迷っているうちに妊娠。一度は離婚をあきらめた。だが夫は子どもにあまり関心を示さなかった。
「というより子どもに私を取られたと思ったようで、『オレが第一、子どもはその次でしょ』と何度も言われました。
義母は完全に夫の味方で、『あなたは妻として、うちの息子のめんどうをちゃんと見てるの?』って。ハンカチのアイロンのかけ方がダメだとか、『今日、息子が久々に来たけど痩せたみたい。ちゃんと食べさせてるのかしら』と嫌味を言うために電話をかけてきたり。
私も小さい子を抱えて仕事に家事にと精一杯がんばっているのに……。私のことはまったく認めようとしない義母でした」
結局は、大人になりきれていない男性だったのだ。我慢を続けたが、とうとう昨年秋、家を飛び出し、離婚調停を申し立てた。
「コロナ禍もあってなかなか調停が進んでいないのが現状です。でもその間、義母からはたびたび、『離婚だけはしないで。あなたが思い直せば、うちの子はやり直してもいいと言ってるのよ』って。やり直してもいいって何様なんだろうと思いましたね」