綾波レイと碇ゲンドウの変態性

 で、いま改めて振り返ってみるに、その中でも綾波レイというメインヒロインの独自性とインパクトは空前絶後で、時代性を超えて今後もいろんな考察のコアになるだろうと思います。

 彼女は「自立性のある良妻賢母」の権化たる碇ユイ(故人)の再来となるべく製造された存在で、女性性というものを濃縮して体現するいっぽう、「男性を安心させる」要素を決定的に欠くのが大きなポイントでしょう。

 俗世感覚では男性からも女性からも扱いに困る存在であり、しばしば現世的に理想化されながら語られる古代宗教の「大地母神」なるものの核心って実はこんな感じなのではないか? と思わせぬでもないあたりが素晴らしい。

また、亡き妻である碇ユイを復活させようとしながら綾波レイをひたすら磨き上げ、しかも大量に培養してしまう碇ゲンドウのある意味ドイツ的に真面目で真摯な変態性も素敵です。まさに男性性と女性性の高次元での葛藤と融合。

 綾波は神性と何かしら関係がありながらクローン量産可能で、個体ごとに多少の性格差があったりするらしいあたりも生々しくまた切なくて良い。

 疑似キリスト教的な小道具抜きに、原始女神信仰的な何かを多角的にシミュレートできるのも本作の大きな見どころといえるでしょう。

報われないアスカ

 綾波レイの正体というか異質性を「直観的に」察して反発するサブヒロインとして惣流・アスカ・ラングレーが登場するわけですが、綾波レイへの反発心の強弱などシリーズ中での性格設定のブレ幅が大きく、字数が限られた場での紹介が難しい人物です。

 それでも、 ・「万能秀才」的なスペックの高さを「意固地さ」がどうしても上回ってしまう ・決戦の場で常に「あと一歩」及ばず敗退し、見せ場をシンジに譲ってしまう  役どころという印象は絶対的について回る感じですね。

 苦労と葛藤の割に報われず、とかいいながら、人気的には綾波レイと同格かそれ以上っぽいのが味わい深い……。

【※以降『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレを含みます※】

彼女について大いに気になるのは、新劇場版で何の説明もなく「式波・アスカ・ラングレー」と名前が変更されたことです。これにはいろいろ解釈がありますが、完結篇にて彼女も綾波レイと同様の「元型からのコピー培養人間」であったことが示唆される場面があり、つまりそのへんの設定が旧TVシリーズ版と別物、という印である可能性が高いです。  であれば、しかし、いっそう報われないような……。

 報われないといえば新劇場版、後半に行くにつれて、元来はアスカの見せ場だったように思われる場面で、あとから来た新ヒロインである真希波・マリ・イラストリアスが何気においしいところをみな持って行っちゃう感があったのも印象的です。そう感じるのは筆者が旧TVシリーズ版以来のファンだからなのか否か、なかなか判断が難しいところではありますが。