忠清北道清原郡 自然主義テンジャン芸術
時を重ねながら熟成する醤(ジャン)は造り手の人生そのもの。 醤(ジャン)を知り、韓国食文化の魅力を味わう。
醤油や味噌など日本の味に欠かせない調味料があるように、韓国でも味の基本となる調味料が古来から発達してきた。それが、コチュジャン(唐辛子味噌)、カンジャン(醤油)、テンジャン(韓国味噌)をはじめとした、「醤(ジャン)」と総称される穀物主体の伝統調味料だ。
テンジャン(韓国味噌)の醸造の歴史は古く、三国時代(4世紀~7世紀中葉)と推定されている。現代では多くのメーカーで生産され、スーパーに行けば手軽に手に入るテンジャン。
しかし、宗家(チョンガ)と呼ばれる本家では、今なおテンジャンをはじめ料理の基礎をなす伝統調味料は自家製というところが多い。のどかな田園風景が広がる忠清北道(チュンチョンブット)清原(チョンウォン)郡。
高麗(コリョ)時代の功臣を始祖とし、600年以上にわたりこの地に居を構えてきた文化柳氏(ムナリュッシ)の宗家も例外ではない。そんな宗家に嫁ぎ、伝統製法の醤(ジャン)造りに励む1人の女性がいる。前職はアナウンサーという異色の経歴を持つ、キム・ジョンヒ「自然主義テンジャン芸術」代表だ。
ターニングポイントとなった夫の帰農宣言
同期入社でプロデューサーだった夫とは、忠州(チュンジュ)MBCアナウンサー時代に職場のテレビ局で出会った。文化柳氏34代当主である夫は、かねてから故郷に対する愛着が強く、自然環境や自然農法にも関心が高かった。そんな夫からUターン帰農の決意を聞かされたのは今から10数年前。
「それ以前にも夫の祖父が私たちの帰郷を望んでいることは知っていました。また、当時すでに宗家の嫁として、跡取りである夫の責任感は同じように自分にも芽生えていたため、実際に夫が田舎に戻って暮らしたいと言ったときも自然とその意思を受け入れられました」
忠清北道清原郡 自然主義テンジャン芸術 時を重ねながら熟成する醤(ジャン)は造り手の人生そのもの。 醤(ジャン)を知り、韓国食文化の魅力を味わう。
醤油や味噌など日本の味に欠かせない調味料があるように、韓国でも味の基本となる調味料が古来から発達してきた。それが、コチュジャン(唐辛子味噌)、カンジャン(醤油)、テンジャン(韓国味噌)をはじめとした、「醤(ジャン)」と総称される穀物主体の伝統調味料だ。
テンジャン(韓国味噌)の醸造の歴史は古く、三国時代(4世紀~7世紀中葉)と推定されている。現代では多くのメーカーで生産され、スーパーに行けば手軽に手に入るテンジャン。
しかし、宗家(チョンガ)と呼ばれる本家では、今なおテンジャンをはじめ料理の基礎をなす伝統調味料は自家製というところが多い。のどかな田園風景が広がる忠清北道(チュンチョンブット)清原(チョンウォン)郡。
高麗(コリョ)時代の功臣を始祖とし、600年以上にわたりこの地に居を構えてきた文化柳氏(ムナリュッシ)の宗家も例外ではない。そんな宗家に嫁ぎ、伝統製法の醤(ジャン)造りに励む1人の女性がいる。前職はアナウンサーという異色の経歴を持つ、キム・ジョンヒ「自然主義テンジャン芸術」代表だ。 ターニングポイントとなった夫の帰農宣言
同期入社でプロデューサーだった夫とは、忠州(チュンジュ)MBCアナウンサー時代に職場のテレビ局で出会った。文化柳氏34代当主である夫は、かねてから故郷に対する愛着が強く、自然環境や自然農法にも関心が高かった。そんな夫からUターン帰農の決意を聞かされたのは今から10数年前。
「それ以前にも夫の祖父が私たちの帰郷を望んでいることは知っていました。また、当時すでに宗家の嫁として、跡取りである夫の責任感は同じように自分にも芽生えていたため、実際に夫が田舎に戻って暮らしたいと言ったときも自然とその意思を受け入れられました」 田舎での新生活は、20年近く送った都市でのアパート生活とは全く異なった。夏場は一雨ごとにぐんぐん育つ雑草の退治、掃除や改修など随時手入れが必要な韓屋(ハノッ)は敷地内に複数棟。家の維持管理に相当な手間を取られた。一方で、自然の恩恵に授かれることは幸せだった。
裏庭からは野鳥のさえずりが聞こえ、庭にはタンポポ、オオバコ、桑の葉など食用の野草が散在している。帰郷者に対する近隣住民の態度も温かかった。帰宅してみると門に野菜の袋がぶらさがっていることもしばしば。近くに住むもの同士、互いを思いやる人情が日常の様々な場面で感じられた。
良質の大豆が味わいの元に
日当たりの良い場所に設けられたチャンドッテ(甕置き場)
雑臭を防ぐため風のない晴れた日には何度も蓋を開け閉めし、雨上がりには湿気の影響で出来るカビの除去が欠かせない。数百個のハンアリから片時も目の離せない日々は続き、3年後にようやく濃厚な豆の香りを楽しめる味わい深いテンジャンが完成する。
気温の高い日には発酵が進み甕の淵まで盛り上がる
「不思議なことに、同じ材料を使って同じ時期に仕込んだテンジャンでも微妙に風味が異なります。ハンアリの間を吹き抜ける風の強さや向き、陽の当たり具合など自然的な要因が作用するのでしょう。昔の人は、そんな特徴を持つ伝統味噌の味を神の調和という言葉で表現しました」
自然のなかで1つの芸術作品を作る気持ちで醸造する―「自然主義テンジャン芸術」というブランド名は、キム代表のそんなモットーから名付けられた。
真摯な作業姿勢はシオモニゆずり
伝統製法によるテンジャン作りは、結婚後シオモニ(姑)から学んだ。「女の手が忙しく動いている家には食べ物が多い」と、よく口にしていたシオモニ。テンジャン作りにおいても、麹作り・仕込み・熟成のどれ1つとして疎かにすることなく丹精込めて作業する。
甕から塩水をすくうといった何気ない作業でさえ、ひと手間かけ丁寧に行なうことでテンジャンの風味が一層増すことを教えてくれた。1つ1つの過程を大切にするシオモニの姿勢は、キム代表の作業スタンスとしてそのまま受け継がれている。
「すべての工程に最善を尽くすのは大変なことですが、お客様からの言葉にいつも励まされています。この味だと感嘆してくれたり、どの有名どころのテンジャンよりも美味しいというメールをもらったりすると、これからももっと気持ちを込めて作らなければ、と気が引き締まります」
麹作り・仕込み・熟成のどれ1つとして疎かにすることなく丹精込めて
瓢(ふくべ)で作った柄杓。道具も自然素材にこだわる
テンジャン作りに対する真摯な姿勢が目に見える形で評価されたのは2009年のこと。キム代表は、同年行なわれた「第12回大韓民国名人名品大賞」発酵部門において、見事大賞の栄誉を手にした。
原動力はスローフードの作り手としての自負心
事業にまい進するかたわら、醸造以外に人的ネットワークやマーケティングに関しても学ぶ必要性を感じた。2006年には全国で生産・加工に携わる人々が学ぶ韓国ベンチャー農業大学に入学。
情報交換や多様な考えに触れるなかで、伝統製法にこだわるだけでなく新たな手法やトレンドを知る機会も重要だということに気づかされた。
現在、キム代表は自宅敷地の一角にあるテラスで、テンジャンの醸造体験講座を随時開催している。これまで食に関心が高い都市部の女性や、国際結婚で韓国に移り住んだ外国人女性などが参加した。今後は醤について幅広く紹介する醤類博物館の設立も計画中だという。
安心できる食生活へ注目が集まる近年、醸造量は年を追うごとに増加しており、首都ソウルの大手デパートにも商品が陳列されるようになった。一度購入したお客さんが、家族や友人に勧めてくれる場合が多いという。そうしたクチコミを強みにした販路拡張が今後の目標だ。
「自然の恩恵を受けながら長い年月をかけて完成するテンジャンは、韓国を代表するスローフードと言えます。また、長きにわたって人々に食されてきたということは、体にも良い食べ物だという証拠です。そんな真のスローフードを作り出しているという自負心を持って、今後も取り組んでいきたいと思います」
伝統醸造法を受け継ぐだけでなく、さらなる発展を試みる意欲的な姿勢から、キム代表につけられた別名は「テンジャンCEO」。ナムルやドレッシングをはじめテンジャンを活用した料理の提案にも積極的だ。
しかし、まず味わってほしいのは、やはり王道のテンジャンチゲ。熱々の湯気にのって漂ってくる、香ばしくもどこか懐かしい豆の香り。キム・ジョンヒ代表の思いと自然の恵みがぎゅっと詰まったテンジャンで、スローフードの真髄にふれてみてほしい。
商品購入方法
「自然主義テンジャン芸術」の商品は、ソウル市内および近郊では現代百貨店狎鴎亭(アックジョン)本店、新村(シンチョン)店、KINTEX店で購入できる。
また、Eメールや電話(ともに韓国語または英語にて対応可)での注文も受け付けている。国産有機大豆100%の3年熟成テンジャンは1kg入りのほか3kg入り(50,000ウォン)も。5年熟成の醤油も売れ筋だ。
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