高麗時代中期から醸され、朝鮮三大名酒の1つに数えられる「甘紅露(カモンロ)」。北学派(朝鮮時代の学問である実学の一派)の学者・柳得恭(ユ・ドゥッコン)が朝鮮後期の歳時風習を記録した「京都雑志」や、作家で文化活動家の崔南善(チェ・ナムソン)が朝鮮に関する常識をまとめた「朝鮮常識問答」では、朝鮮初の名酒であると記されている。
「甘紅露」はもともと平壌(ピョンヤン)地方で造られていた伝統酒で、米を原料とした焼酎にショウガ、甘草、桂皮、龍眼肉などの韓方(韓国で発展した漢方のこと)を漬け込んでいる。
「甘」は酒の甘みを、「紅」は酒の紅色を、「露」は蒸留された酒が壷の中で露のように漂うという意味を表しており、味覚、視覚、嗅覚を満足させる酒だといえる。
価値ある伝統酒を残したい…慣習に挑んだ女性杜氏
現在、甘紅露を醸しているのは韓国でただ1人、大韓民国食品名人第43号の認定を受けている李基淑(イ・キスク)氏だ。
李基淑氏の両親は平壌出身で、どちらも造り酒屋の家系に生まれた。李基淑氏の父で人間文化財の李景燦(イ・ギョンチャン)氏は平壌で醸造所を経営、朝鮮戦争勃発後は南に下って、甘紅露を醸し続けたという。李基淑氏はいつも父のそばで甘紅露の造り方を見ていたが、韓国では昔から酒造りは男性の仕事とされる慣習があったため、継承はできなかった。そのため最初に甘紅露の継承を受けたのは、2番目の兄の李基陽(イ・キヤン)氏だった。
しかし2000年に李基陽氏が亡くなると甘紅露を醸す人がいなくなった。そこで立ち上がったのが李基淑氏だった。甘紅露の無形文化財および大韓民国食品名人申請の際には「父から造り方を習った」と訴えるも、根拠や証拠となる文書がないため、なかなか認められなかったという。
高麗時代中期から醸され、朝鮮三大名酒の1つに数えられる「甘紅露(カモンロ)」。北学派(朝鮮時代の学問である実学の一派)の学者・柳得恭(ユ・ドゥッコン)が朝鮮後期の歳時風習を記録した「京都雑志」や、作家で文化活動家の崔南善(チェ・ナムソン)が朝鮮に関する常識をまとめた「朝鮮常識問答」では、朝鮮初の名酒であると記されている。
「甘紅露」はもともと平壌(ピョンヤン)地方で造られていた伝統酒で、米を原料とした焼酎にショウガ、甘草、桂皮、龍眼肉などの韓方(韓国で発展した漢方のこと)を漬け込んでいる。
「甘」は酒の甘みを、「紅」は酒の紅色を、「露」は蒸留された酒が壷の中で露のように漂うという意味を表しており、味覚、視覚、嗅覚を満足させる酒だといえる。 価値ある伝統酒を残したい…慣習に挑んだ女性杜氏 イ・キスク氏 イ・キスク氏 現在、甘紅露を醸しているのは韓国でただ1人、大韓民国食品名人第43号の認定を受けている李基淑(イ・キスク)氏だ。
李基淑氏の両親は平壌出身で、どちらも造り酒屋の家系に生まれた。李基淑氏の父で人間文化財の李景燦(イ・ギョンチャン)氏は平壌で醸造所を経営、朝鮮戦争勃発後は南に下って、甘紅露を醸し続けたという。李基淑氏はいつも父のそばで甘紅露の造り方を見ていたが、韓国では昔から酒造りは男性の仕事とされる慣習があったため、継承はできなかった。そのため最初に甘紅露の継承を受けたのは、2番目の兄の李基陽(イ・キヤン)氏だった。
しかし2000年に李基陽氏が亡くなると甘紅露を醸す人がいなくなった。そこで立ち上がったのが李基淑氏だった。甘紅露の無形文化財および大韓民国食品名人申請の際には「父から造り方を習った」と訴えるも、根拠や証拠となる文書がないため、なかなか認められなかったという。
認定を受けるためには工場を設立して酒を造り、人々に甘紅露を知ってもらう必要があり、工場を設立するためには国や地方自治体の認可を受けなければならない。
そこで2005年、李基淑氏の夫で経営学博士の李敏馨(イ・ミニョン)氏のアドバイスを受けて京畿道(キョンギド)・坡州(パジュ)市に農業法人株式会社甘紅露を設立、2006年に酒類製造免許を取得して工場を建設し、酒造りを始めるにいたった。
毎年多額の赤字を出しながらも、父が醸し続けた文化的価値の高い伝統酒を残そうと、ひたすら酒造りに努めた李基淑氏。2009年、2010年と2年連続で京畿道酒類品評会で入賞するなどの功績を残し、2010年に大韓民国食品名人認定の申請を提出した。
その後2年間の厳しい審査、手続きを経て、2012年10月に大韓民国食品名人第43号の認定を受け、現在では韓国国内で唯一、甘紅露を再現できる名人となった。
8種の韓方が調和して生まれる味わい深い酒
甘紅露の製造工程
甘紅露は40度というアルコール度数の高い酒だ。現在は春(3月中旬~6月中旬頃)と秋(9月中旬~10月末頃)に製造を行なっているという。
基になる焼酎は粟で造った麹と蒸した米を主原料として醸したもの。2回蒸留してより純粋なアルコールを取り出すことで、酒の品質を安定させている。
蒸留して取り出した焼酎に、乾燥させた陳皮、芝草、ショウガ、甘草、桂皮、丁香、防風、龍眼肉といった8種の韓方を約1ヶ月漬け込み、その後タンクで1年以上熟成させたら甘紅露の完成だ。じっくり熟成させることで、口当たりがまろやかになり、飲みやすくなるという。
アルコールは通常、人体の熱を下げるものが多いが、甘紅露は韓方を漬け込んでいることから、内臓を温め、末梢神経まで温かくする効果があるといい、かつては薬の代わりに飲まれていたこともあるという。食中酒にも適しており、晩酌に1~2杯程度飲むのがちょうどいい。
甘紅露の飲み方
甘紅露のおすすめの飲み方はロックまたは、50~60度のお湯で割る湯割り。ロックで飲めば甘紅露のすっきりとした味が楽しめ、湯割りで飲めば豊かな香りを楽しむことができる。また、トニックウォーターやレモネードなどの炭酸飲料で割って飲めば、爽やかなカクテルになり飲みやすくなる。
平壌式酒肴と甘紅露
甘紅露は韓方を漬け込んだ酒だが、じっくり熟成させているため強いくせがなく、どんな料理にも合わせやすいのが特徴。
甘紅露発祥の地・平壌では、肉料理をつまみとして甘紅露を飲み、酔ってしまったら冷麺で酔い覚ましをすると言われているそうだ。
平壌式のつまみで珍しいものは、豚の内臓を醤油で煮付けたチュンタン、白菜を切らずに丸ごと使ったチヂミ、緑豆で作ったおかゆに餅を入れて食べるムッムルなどがあげられる。
中でもムッムルは、酒を飲む前に食べることで胃の粘膜を保護しアルコールの吸収を遅くさせたり、緑豆に解毒作用があることから、二日酔い予防に昔から食べられていたという。
文学の中に見る甘紅露
甘紅露は韓国の小説や説話にも登場する。古典小説「鼈主簿伝(うさぎとすっぽん)」では、ウサギの肝を取るためにスッポンがウサギを竜宮城へ連れて行こうとする際に「竜宮城には甘紅露がある」と誘う場面がある。
朝鮮時代の古典「春香伝(チュニャンジョン) 」では、主人公の李夢龍(イ・モンニョン)と春香の別れのシーンで、下女に持ってこさせる酒として甘紅露が登場する。
また、甘紅露は唯一ことわざになっている酒でもある。「素焼き瓶に甘紅露(질병에 감홍로、チルビョンエ カモンロ)」ということわざで「外見は素朴だが中身は貴重で美しいものだ」という意味をもっており、何の変哲もない素焼きの瓶に入っていながらも、希少で味わい深い甘紅露を言い表していることわざだ。
幸せを感じられる伝統酒
「a cup of happiness(幸福の一杯)」をスローガンに掲げている甘紅露。「父の代から受け継いだ価値ある伝統酒を残したい」「健康の助けになる酒を造りたい」という名人・李基淑氏の思いが込められている酒だ。
初めは認知度の低かった甘紅露だが、現在では現代(ヒョンデ)百貨店、ロッテ百貨店、新世界(シンセゲ)百貨店など大手百貨店の一部店舗や、仁川(インチョン)国際空港内ロッテ免税店などでも販売しており、比較的手に入りやすい。
甘紅露の持つ長い歴史と、名人の酒造りの情熱に思いをはせながら、気の置けない仲間と杯を交わしてみてはいかがだろうか。
提供・韓国旅行コネスト
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