【3】ムラト4世の功績 レヴァン・キョシュクとバーダット・キョシュク
キョセムはアフメト1世との間に複数の子供を授かりました。そのうちムラト4世とイブラヒムが皇帝となったため、キョセムは母后(ヴァリデ・スルタン)としてオスマン宮廷で権力を握ります。
ムラト4世は1635年、アルメニアのエレヴァンを征服することに成功しました。この功績を称えて造られたのが、トプカプ宮殿に数ある建築物の中でも一際美しいレヴァン・キョシュクです。トルコ語でキョシュクは「東屋」を意味します。
またムラト4世は1638年にはサファーヴィー朝からバグダッドを奪回することにも成功し、この戦勝を記念してバーダット・キョシュクが同じくトプカプ宮殿に造られました。
【4】キョセムの権力を示すビュユク・ヴァリデ・ハン
オスマン帝国では通常、スルタンの母が母后としてハレムを取り仕切り、自分の子(スルタン)が崩御した母后は旧宮殿で隠居生活を送りますが、キョセムはムラト4世とイブラヒムの時代が終わったあとも、孫のメフメト4世の摂政を務めようとし、権力の座から降りようとはしませんでした。
そんなキョセムは自らの権力を示すべく、1651年、イスタンブールに最大規模の隊商宿(トルコ語でhan)を造らせました。この宿は大母后のハン(Büyük Valide Han)と名付けられ、シルクロード交易でイスタンブールを通過する商人たちの身のより処となりました。
【5】キョセムの死 アフメト1世の霊廟
孫の代にまで手を出すキョセムは、メフメト4世の母トゥルハン・スルタンやトゥルハンの支持者からは煙たがられる存在となりました。1651年、キョセムはついにトプカプ宮殿で、トゥルハンが仕向けた刺客に絞殺され、その生涯に幕を閉じます。
オスマン帝国のハレムで、セリム2世の妃であるヌルバーヌ妃の頃から続いていた女性による統治(Kadınlar saltanatı)と呼ばれる時代は、キョセム妃の死とともに終わりを迎えました。アフメト1世からメフメト4世までの6人の皇帝の治世を生き延びてきたキョセムは、アフメト1世が眠るアフメト1世の霊廟で眠っています。
おわりに
ドラマの内容と史実は異なりますが、史実を知っているとドラマをより楽しく観ることができます。イスタンブールを訪れたら、キョセム妃の生涯に思いを馳せながら歴史散策をしてみてはいかがでしょうか。
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