DRESSの『運命をつくる私の選択』は、これまでの人生を振り返り、自分自身がなにを選び、なにを選ばなかったのか、そうして積み重ねてきた選択の先に生まれた“自分だけの生き方”を取り上げていくインタビュー連載です。今回のゲストは、女優の戸田菜穂さん。
高校在学中にホリプロスカウトキャラバンのグランプリを受賞しデビュー。話題のドラマや映画など数多くの作品を彩り続ける女優・戸田菜穂さん。美しく、時に可愛らしく役を演じる戸田さんのキャリアと人生にはいくつもの出会いと物語がありました。故郷で過ごした日々から、子どもと過ごす今日に至るまで。その人生の見つめ方についてお話をしていただきました。
ヘアメイク :岡田いずみ
スタイリスト :菊地ゆか
取材・文 :丘田ミイ子
写真 :池田博美
編集 :小林航平
■「好き」という感性が培われた故郷での日々
――戸田さんは広島県のご出身ですが、故郷ではどんな子ども時代をお過ごしになられてきたのでしょうか?
自分のルーツを思い返したとき、最初に頭に浮かぶのが祖父母の家。実家のすぐそばにあるその家は明治時代に建てられたもので、梁が太く、京都の長屋のような土間があって、とても風情のある家だったんです。子どもの頃から「昔のもの」や「古いもの」に心を惹かれることがよくあったのですが、その最初のきっかけがその家だったんじゃないかなって。明治生まれの祖父が「子どもは野に置け」という考えだったこともあり、幼少期は広島の自然の中でたくさん遊びました。キャンプに行ったり、瀬戸内海の島々に海水浴に行ったり……。同時に、「感性を磨くことが一番」と考えていた母は、幼い頃から美術館や文楽、映画やバレエなんかにもよく連れて行ってくれました。当時はなにもわからずキョトンとしていたと思うのですが、そういった文化に触れてきた経験は内側に残っていて、今の自分を形成するひとつの大きな要素だったのだと思っています。
――豊かな自然とさまざまな文化に触れ合いながら幼少期をお過ごしになられたのですね。そんな中で「女優」を志すにあたってはどんなきっかけがあったのでしょうか?
「女優」という職業を意識しはじめたのも母の影響が大きかったと思います。テレビの前に並んで映画やドラマを熱心に観ることもよくあって、当時の私は岸惠子さんや『北の国』からのいしだあゆみさんが大好きで……。「女優さんの仕事っていいわよ」なんて母に言われたこともあって、漠然とした憧れを持っていました。先々の進路を考えるようになった高校生の頃に「広島で就職するよりも、一度広い世界を見てみたい!」と思って、広島市内にある「フタバ図書」という本屋さんで『De view(デビュー)』という雑誌を買ったんですよね。その中のホリプロスカウトキャラバンのオーディション欄に「今回で初めて女優を募集する」という旨が書いてあるのを見つけて。芸能界というよりも女優に憧れを持っていた私は「これだ!」と応募を決めました。そこから両親にサインを書いてもらって応募して……。
■17歳で女優デビュー。厳しい現場の中にあった温かな出会い
――そのホリプロスカウトキャラバンでのグランプリ受賞をきっかけに女優デビューへ。憧れが現実へと変わりゆく中で、実際にお仕事をしてみての心境はどんなものだったのでしょうか?
最初の撮影のことは今でもよく覚えています。『五月の風~ひとりひとりの二人~』っていう鈴木保奈美さん主演のスペシャルドラマで、私は喫茶店のウェイトレスの役だったんです。現場に行ったら半分に割れた喫茶店があって、「壁がない!」「本当の喫茶店じゃないんだ!」ってまずセットに驚きました(笑)。音声さんから「セリフがなくても芝居しろ」って言われて、「どうしたらいいんだろう? 邪魔になってもいけないし」っていう感じでずっとオロオロしていましたね。ほんとのド素人だったので、現場にもなかなかなじめなくて……。その後に、林真理子さん原作の『葡萄が目にしみる』というドラマに出させてもらえることになって、小野原和宏監督に一から教えてもらって……。
――最初の主演作ですね。当時、戸田さんはおいくつだったのでしょうか?
忘れもしない、高校三年生の夏休みでした。初主演ドラマということで、リハーサルもたくさんとっていただいていて、夏休みの2週間をフジテレビのリハーサル室で過ごしたんです。その後に山梨県でロケというスケジュールだったのですが、ご一緒した萩原聖人さんはすごくプロフェッショナルな方でいろんなことを教わりました。「いよいよ明日で撮影が終わる」ってときに初めて涙が出てきて……。そのとき萩原さんに「菜穂ちゃん変わらないでね、その気持ちが大事だから」って言われたことを覚えています。そのときみたいな初々しい気持ちをいつまでも持っていたいなって、ときどき思い出したりして……。とても大好きで特別な作品でしたね。
――戸田さんは、その後NHKの連続ドラマ小説『ええにょぼ』のヒロインに抜擢され、その名をより広い世代に知られることになります。朝ドラのヒロインということに対するプレッシャーなどはやはりあったのでしょうか?
出演が決まったときに、プロデューサーさんが繋いでくださって大先輩の草笛光子さんにお話を伺いに行ったんです。そのときにかけてくださった言葉がとても心に残っていて。「まだ引き出しがあるわけでもないから、とにかく身体を大切に、いつも笑顔で。部屋で体操でもして体を整えて、先輩方の胸を借りるつもりで頑張ってらっしゃい」って。今でも新人の方に挨拶をされる度にその言葉を思い出しています。当時はまだ幼くて「それだけでいいの?」って思っていたんですけど、人間性がなによりも大事だということを優しい言葉で伝えてくださっていたんですよね。
――戸田さんのお話をお伺いしていると、作品の折々に先輩の俳優さん方との大切な出会いがあったことが伝わってきます。朝ドラの後は初の映画へ。活躍の場をどんどん広げられていきますね。
偉大な監督陣との出会いもたくさんありました。最初の映画は、相米慎二監督の『夏の庭』という作品だったのですが、三國連太郎さんと淡島千景さんの孫という役柄で、すごく贅沢な共演をさせて頂きました。緊張してまともに会話することはできなかったんですけど、三國さんと淡島さんの映画に対する真摯な姿勢を間近で見させていただいて……。相米監督はとても厳しい方で、言葉では何も教えてくださらない方だったんです。ただ永遠にダメ出しが続いて、「はい、ロールチェンジ!」とフィルムが交換される度に「ああ、私のせいだ」って追い込まれたりしていましたね。
――厳しい現場だったのですね。
あるシーンで、「虹綺麗」っていうセリフがあったんですけど、「本当に綺麗だと思っていないだろう」とご指摘を受けて。なんとか繰り返しやってOKをもらったんですけど、そのときに、結局自分の中にしか答えはなくて、教えてもらった演技をただやるだけでは人の心には響かないんだっていうことを監督から教えてもらったような気がしたんです。最後の撮影日、ラストシーンを撮り終わった後に監督がツカツカと私のところにいらっしゃって、「ああ、また怒られる!」って思っていたら「今日よかったよ」って一言言ってくださって。本当に嬉しかったですね。「監督とまた一緒に仕事がしたい、次はもっとがんばろう」って思っていたけれど、その後叶わないままお亡くなりになってしまって……。この仕事は本当に一期一会なんだということを痛感しました。次はない。その瞬間が何よりも大事。30年経ってわかりましたし、この仕事におけるとても大事なことを教わっていたんだと思います。
■ここぞ、という時に開く一冊のノート
――その後、さまざまなドラマや映画でご活躍をされますが、印象深いエピソードや、ターニングポイントとなった作品などは何かありますか?
向田邦子さんのドラマ作品で何度かご一緒をさせていただいた久世光彦監督との出会いはとても印象深く刻まれています。広島にいた小さい頃から渋いものが好きという好みもあって、古き良き向田邦子さんのドラマが大好きだったんです。幼いながらにも田中裕子さんと小林薫さんのお芝居を見て「ああ、これが大人の恋愛だ!」なんて思ったりして……(笑)。そんな監督の作品に呼んでいただけたことはとても幸せなことでした。こちらも厳しい現場だったので、最初はものすごく怒られて、リハーサル室の隅っこで泣いたり(笑)。リハーサル室でもダメなときは「家で考えてこい」って宿題を出されて放り出されるんです。
――厳しい現場の連続。心が折れそうになることはなかったのでしょうか?
もちろんありましたし、毎日が自分との戦いでした。でも、そんな時間もすごく有意義だったと思っていて……。当時の私はまだほとんど新人みたいなものだったし、厳しい監督とのお仕事が続いていたこともあって、怒られないと物足りないというか、厳しくされたい気持ちもあったんですよね。今ではそんな経験はなかなかないけれど、10代のときに厳格に指導していただけたことは、この上なく貴重な経験だったと思います。他にも「台本のト書き通りやる女優になっちゃだめだよ」とかありがたい言葉をいっぱいいただいたので、ノートに書きとめていました。そのノートは今でもときどき見返したりしています。
――戸田さんの女優人生とその折々の出会いが詰まった大切なノートですね。それを開くのはどんなときですか?
わぁ、この役難しいなぁ、できるかなぁと不安になった時や、思い切って挑まなければならない役を演じるときに気づけばノートを開いています。当時はぼんやりとしかわからなかったことが、開く度にわかってくるような感覚もあって……。そこにある言葉たちは道標ではあるけど、それによって励まされているというよりは、その言葉の中にあるものに背中を押されているような感覚なんです。そこには、今の自分だからこそ辿り着けた言葉の意味が広がっていて。貴重な経験の重なりの中で女優としての自分が出来上がっていたことを痛感しますし、同時に、初心を取り戻さなければという気持ちにもなれるんですよね。今でも初めての現場に入る前の夜はなかなか眠れず、ずっとドキドキしています。
■「俳句」との出会い、その表現が教えてくれるもの
――戸田さんは女優として活躍される傍らで、2018年から「NHK俳句」の司会も務められています。「俳句」との出会いはいつに遡るのでしょうか?
小学五年生のときに国語の授業で俳句を詠む機会があって……。発表後に好きな俳句に投票するという方法だったんですけど、私の詠んだ句が1番になったことがあったんです。「春の雪 降っても積もらず 溶けていく」という俳句でした。そのことがすごく嬉しくて、その後も原稿用紙にちょこちょこ書きとめていたんです。そのことを偶然お会いしたイラストレーターの矢吹申彦さんに伝えたら「東京俳句クラブっていうのがあるよ」と紹介してくださって、24歳からそのクラブに所属するようになったんですよね。今は時節の影響で当面はお休みになっているのですが、通常だと月に一回10人前後が集う句会があって、1カ月の間に宿題が1題、その場で3題、合計4句を作るんです。言葉を扱うお仕事をされている方が多いので、選ぶ名詞ひとつとっても感覚が研ぎ澄まされていてとても興味深いんですよ。
――戸田さんの思う俳句の魅力とはどんなところでしょうか?
句会では、食事とお酒を交わしつつ、それぞれの俳句を発表していくんです。「眉間にシワよせて考えちゃだめ」「楽しく会話しながらいつの間にかできていなきゃ」なんて言われながら……。まさにその通りで、凝り固まった頭だと、どこかでみたような言葉やつまらない俳句しかできないし、個性も生まれない。俳句は「世界一短い詩」って言われている通り、本当に奥が深いんです。私の出した俳句が一回0点だったことがあって、そのときは本当にへこみましたね(笑)。「常に頭を柔らかくしてなきゃだめだよ」って言われているようで……。その会では、一番いい俳句を作ったと思う人に短冊をあげる評価システムになっているんですけど、これがいっぱいもらえると、すごく嬉しいんですよね。
――戸田さんはご結婚や出産なども経験されていますが、お仕事や子育てだけでなく、その人生において、ご自身が心惹かれるものや好きなことに取り組む時間もとても大切にされているように感じます。
俳句を作るときの「頭を柔らかく」という感覚にも通じていくのかもしれないのですが、私生活の変化に応じて気持ちや考えを大きく変えるというよりも、目の前の状況に抗わず、たゆたっていたいと思っているんですよね。仕事をしたいときも休んでいたいときももちろんあって、どちらも人生において意味があると思うんです。今の世の中の状況をひとつとってもそれは同じで、自分が足掻いてもどうしようもないことが起きたときに、今、目の前にある時間をどう豊かにするか。そんなことはいつもぼんやり意識しているかもしれません。世の中の周波を感じて落ち込むようなことはもちろんあるのですが、ネガティブになっている時間はないぞ! とも思っていて……。
■流れていく時間と変わりゆく自分。そのときに感じる“直感”の方向へ
――「今、目の前の時間を豊かにしていくこと」。それはDRESS読者の方々をはじめ、多くの人がこの一年を生きる上で考えてきたことかもしれません。
これは私のせっかちな性分もあるのですが、思い悩んだりしている時間がもったいないと思っちゃうんですよね。「今はそういうときなんだ!」って切り替えて楽しもう。自粛期間もそういうスタンスで過ごしていました。趣味のガーデニングで土や植物から力をもらったり、ずっと後回しにしてきた写真の整理をしたり、子ども達の横に一緒に並んで自分も勉強してみたり……(笑)。どれもとても豊かな時間だと思うんです。あと、これを機に、「代用品=代わりのきくもの」を処分して、「経年で素敵になるもの」を選んでいきたいと思うようにもなりました。「新しいものを買おう」じゃなくて「今持っているものを大切に素敵にしていこう」って。年月が経ってこそ良さが出るものって必ずあると思うんですよね。そんな風に制限された生活の中で感覚が研ぎ澄まされるようなこともあって、思い立ってクローゼットの整理をしてみたりとか。
――持ち物や身につけるものは、最も身近な「選択」と言えますよね。それを選んでいる理由が自分の中ではっきりしたときにすごく愛着が湧いたり……。
そうなんです。若い頃は、自分に何が似合うかわからなくて、いろんな服を買ったり着たりしてきました。でも、手元に残っているのは、結局肌触りや着心地がいいものだったりするんですよね。同時に、よくわからないものを選んでいた昔の自分もかわいいなって思うんです。下北沢なんかに行くと、ときどき「大学生のときの自分」に出会えるような気持ちになります。若くて右も左もわからなかった自分。デビューしたての、監督から全然OKがでなくてもがいていた、リハーサル室の隅っこで泣いていたときの自分に(笑)。
――今の選択だけでなく、過去の選択や自分の来た道を肯定すること。今のお話には、そんな戸田さんの温かなまなざしを感じました。
私は小さい頃から負けず嫌いだったんですけど、内側に燃えているものを隠しながら生きているような部分もあって……。女優になったとき、周りの人たちからも「あの引っ込み思案の菜穂ちゃんが?」って言われたくらいでした。でも、今でもそういう自分の根本って結局は変わらないんですよね。ただ、年齢を重ねていく中で、自分のことを自分自身が扱いやすくなったとは思います。誰もが人と比べたり、誰かを羨ましく思ったりすることってあると思うけど、自分が幸せならいいじゃないかって。なるべく笑顔でいたいなって。そう思って、この間娘たちに「ママの笑った顔を描いて」ってお願いして、ふたりが描いてくれた絵を部屋に貼ったんです。子育てしていると子どもたちが描いてくれたような笑顔でいられないこともあるのですが、怒りそうになったときはその絵を見るようにしています(笑)
――素敵なアイデアですね! 仕事に育児、そしてその全てを包む生活において日々を豊かにするためのあらゆるヒントが隠されたお話でした。最後に、戸田さんが人生における選択をするときに大切にしていることを教えてください。
物事に対してはあまり迷わないタイプで、自分の心の声に正直に生きていけばいいんじゃないかって思っています。迷う前に、第六感というか感覚的なものが選択を選びとっているような節があるんですよね。「これが好き」とか「これは嫌だな」とか、「直感」というものは誰にでも備わっているもの。同時に、その感度は磨いていないと鈍くなってしまうので、頭や心の中を常に循環させておかないとダメだなとは思っています。でも、「迷う」っていうのは、言い換えると「熟考している」ということ。だから、迷っているその時間もきっと意味があると思うんですよね。悩みや葛藤、そういったネガティブな気持ちが大きな糧になることもある。
とある先輩から「岐路に立たされたときに、困難だと思うほうに行くのよ」と言われたことがあるのですが、正直「どういう意味?」って(笑)。まぁ、なんとなくわかるんですけどね……。私は小説を読むのも文章を書くのもすごく好きで、いつか自分でもなにか物語を書いてみたいなっていう気持ちもあるんですけど、きっと作家さん達はそういった経験や切実な気持ちから物語を生み出したりされているんじゃないかって思ったりするんです。まだまだやりたいことや挑戦してみたいことがあるので、直感に従った選択をしつつ、日々人生について常に考えていきたい。現状に満足せず、でも今を楽しみながら、そんな風に自分を高めていけたらと思っています。
戸田菜穂プロフィール
広島市出身。1974年3月13日生まれ。1991年デビュー。平成5年NHK連続テレビ小説『ええにょぼ』、TBS『人生は上々だ』、CX『ショムニ』などテレビドラマやCMで活躍。また相米慎二監督『夏の庭(ザ・フレンズ)』、森田芳光監督『(ハル)』など映画でも活躍。2003年小沼勝監督の『女はバス停で服を着替えた』では映画初主演。これまでのおとなしいイメージを鮮やかに裏切る役に挑み、女優として大きく飛躍。21年公開待機作に、映画『科捜研の女-劇場版-』、『吟ずる者たち』がある。趣味は映画鑑賞、読書、音楽鑑賞、俳句、三味線など。
【衣装クレジット】
ドレス¥58,300(税込)YOKO CHAN
03-6434-0454
ネックレス¥201,300(税込)リーフェ ジュエリー
03-6820-0889
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