ストレスが溜まると散財しやすい――。もし心当たりがあるなら要注意だ。

心理的な分析はいくつかあるようだが、ひとつの理由としては思い通りにならない現実の代替として「思い通りに買い物する」ことで心を満たす効能があるようだ。「自分はこれくらいの購入が自由に決済できる」という誇示もあると聞く。

もちろん、その対象物は自分にとって絶対に購入しなければならないものではなく、購入したはいいが、タンスのなかに仕舞われるものも多い。人は「散財(無駄遣い)」するとき、どのような感情を抱いているのだろうか。どうやって対処すればよいのだろうか。

散財をコントロールすることは可能なのか

イソップ寓話に、「すっぱい葡萄」という話がある。幼い頃に枕もとで聞いた懐かしい物語だ。食べたかったけれど手が届かないから、「あの葡萄は絶対に美味しくはない」とキツネが騒ぐという話だ。このときの仮説として、「キツネが葡萄に手が届いていたら」という考えがある。おそらく、キツネは葡萄を食べ荒らしていただろう。

では葡萄に手が届かず、代わりに目前の畑にリンゴが実っていたらどうだろう。キツネは「葡萄よりリンゴが美味しい」といってリンゴを食べ荒らすことだろう。

冒頭の「散財する動機」はこれに似ている。散財が自分の首を絞めるだけというのは皆、理解している。ただ、代わりに何かで満たさなければ……という急激な感情に襲われ、消費行動のときに歯止めとなる「ちょっと待てよ。これ買っても本当に使うのか」という理性が働きにくくなる。落ち着いたあとに「散財し過ぎ」と諭せば、多くの人が「(言われなくても)わかっている」と言うだろう。

落ち着いて考えると、散財が取るべき方法ではないことは誰だって理解している。ただ、散財するときの感情をコントロールするのは、とても難しい。