「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」という精神で知られる近江商人のふるさと「近江八幡」。今回は、そんな近江商人の足跡を辿る、近江八幡の観光名所をご紹介します!
1.近江八幡市立資料館(郷土資料館、歴史民俗資料館)
郷土資料館は、かつて海外で活躍した近江商人、西村太郎右衛門の邸跡に開設された資料館です。旧市街地の中心である新町通りに面しています。
資料館の建物は、1886年に八幡警察署として建設されたものが、1953年に大幅に改築されてできました。この時の改築の設計は、近江八幡で多くの洋風建築を手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏率いるヴォーリズ建築事務所が行いました。
近江八幡の近江商人は特に「八幡商人」と呼ばれますが、その八幡商人の歩んできた道のりを、豊富な展示品と解説で辿ることができます! さらに、近江八幡の町を整備した豊臣秀次についての展示室もあり、秀次の多大な功績を知ることも。
また、歴史民俗資料館は江戸時代末期の民家を修復した建物です。内部には、近江八幡の商家の帳場風景や、当時の生活ぶりがそのまま再現されています!
2.旧西川家住宅
旧西川家住宅は、その名の通り有力な近江商人の西川家(西川利右衛門)の住宅でした。西川利右衛門は、近江八幡を代表する近江商人の一人で、初代から昭和5年に11代目が亡くなるまで、約300年間にわたって活躍しました。
西川利右衛門は屋号を「大文字屋」と称して、蚊帳や畳表などの商売で財をなしました。11代目で途絶えてしまった後に、分家の西川庄六家によってこの旧西川家住宅は市に寄贈。外観も内部も落ち着いた面持ちで、質実剛健とも言うべき雰囲気です。
ちなみに、日本最大の寝具メーカである東京西川(ふとんの西川)も、近江八幡出身の西川仁右衛門という商人が蚊帳の行商から発展させた会社です。
3.旧伴家住宅(八幡教育会館)
旧伴家住宅も有力な近江商人の伴家(伴庄右衛門)の住宅でした。伴庄右衛門は江戸初期に活躍した八幡商人で、屋号を「扇屋」と称して麻布・畳表・蚊帳を商っていました。寛永年間には東京日本橋にも出店するほどの勢いでしたが、明治維新等の激動期に商売を続けることができず、明治20年に終焉しています。
立派な門構えが残る建物は、1827~1840年にかけて建築されたもので、明治時代に当時の八幡町に譲渡されてからは、小学校、役場、女学校へと使用用途が変わっていきました。戦後は近江兄弟社図書館として使用された後に近江八幡市立図書館となり、現在は資料館として整備されています。
朝鮮通信使を歓待した時の様子や現代の近江八幡の工芸品など様々な物が展示されていますが、中でも畳の大広間は、さすが豪商の家という雰囲気で圧巻です!
4.ボーダレス・アートミュージアム NO-MA
ボーダレス・アートミュージアムNO-MAは、近江八幡の重要伝統的建造物群保存地区にあるミュージアムです。昭和初期に建てられた近江商人の野間清六の分家を、和室や蔵などを活かして改築しています。社会福祉法人グロー(GLOW)~生きることが光になる~が運営しています。
「障害者と健常者」をはじめ、様々なボーダー(境界)を超えるための試みをしています。障害のある人の表現活動の紹介だけでなく、一般のアーティストの作品と並列して見せることで、「人の持つ普遍的な表現の力」を感じて欲しいとの思いが表現されているそうです。
5.白雲館
1877年に八幡東学校として建築された白雲館は、貴重な擬洋風建造物です。子どもの教育の充実を図るため、近江商人がその費用の殆どを寄付して建てられました。近江商人は近江以外で商いをし、そして故郷に貢献する、というような伝統がありますが、それを見事に体現していますね!
内部には観光案内所が設けられており、お土産や特産品の展示販売もされています。