――正直、それは考えるものがありますね。仮に自分が夫になる立場で想像しても、躊躇してしまいそうな格差です。高峰秀子さんの懐の深さがよくわかります。

斎藤:ちなみに昭和20年代の25歳~29歳の男性の平均年収は約370万円だったそうなので、やはり結婚する前の松山の年収は平均よりかなり下回っています。そして、当時の25~29歳の働く女性の平均年収は約354万円だったことを考えると、高峰はその20倍近く稼いでいたわけです。

◆「超格差婚」のその後は…

高峰秀子
5歳でデビュー、20代半ばで映画界最高のギャラをとっていた高峰秀子は、世間からは順風満帆な大スターと思われていましたが、実情は、ギャラはすべて養母と十数人の親族に搾取され、学ぶ機会も奪われ、好きになれない女優業を黙々と続けざるを得なかった孤独な女性でした。その大スターに名もなく貧しい一人の助監督が交際を申し込み……
――まさに大スターと、シンデレラ・ボーイですね。

斎藤:収入以外の項目について2人の比較は、拙著『ふたり~救われた女と救った男』に掲載した比較表をご覧ください。

――はい。比較表、すごく興味深いです。ところで結婚当初、大変な格差があったことは分かりました。その後の格差婚の結末はどうだったのでしょうか? 高峰さんは幸せになったのでしょうか。

斎藤:さて、どうなったか? それは「ふたり」を読んでください。

――ありがとうございます。このお話を踏まえて、ページをめくるのが楽しみです。最後に「ふたり」を近くで見てきた斎藤さんが、いまひとつだけ伝えたいことがあるとしたら?

斎藤:愛情とは瞬発的なものではなく、持続できるかどうかにその真価がある。そして愛情とは理解と尊敬だと思います。

――本日は貴重なお話をありがとうございます。なんだか元気をいただきました。

斎藤明美
斎藤 明美(さいとう・あけみ)
【斎藤 明美(さいとう・あけみ)】