DRESS特集「親の介護と自分の人生」では、これから訪れるであろう親の介護問題にどのように向き合っていけば良いのかを考えていきます。今回、エッセイストの紫原明子さんに、ご両親と介護について話した中で感じたこと、考えたことを執筆いただきました。
ある日の深夜0時過ぎ、私は救急病院の待合室にいた。家族が急な腹痛を訴え救急車で病院に搬送されることとなり、付添で病院までやってきたのだ。子供たちが小さい頃、急な熱やら嘔吐やらで何度かお世話になった夜間救急病院といえば、赤ちゃんやぐったりした子供がひっきりなしにやってくる慌ただしい場所というイメージがあったけれど、おそらく新型コロナウィルス流行の影響で、様子は随分変わっていた。待合室にはひとりの子供もおらず、スーツを着た人や、頭を氷嚢で抑えた人など、大人ばかり数人が静かに座っている。
そこに突如、○○警察署の者です、と名乗るふたりやってきた。警察の人は受付の人に何やら話したあと、待合室にいた高齢の女性とその息子と思しき男性のもとへいくと、「○○さんが亡くなった件でお話を伺えますか」と聴取を始めた。
聞こうと思わなくても、静かな待合室では嫌が応にも彼らの話が耳に入ってくる。どうやら高齢の女性の夫であり、男性の父親であった人物は自宅で容態が急変、さきほど病院で亡くなったらしい。男性は頑固者で、長らく入院を勧められていたにもかかわらず自宅で介護されることを希望したとのこと。ところが薬を飲むのさえ嫌がり介護には本当に手を焼いた、離れて暮らす息子はよく介護の手伝いに訪れていた、とのこと。
警察官がひとつ質問を投げかけると、妻と息子からは介護にまつわる苦労話がとめどなく溢れ出る。恨み節というほどでもないけれど、亡くなったことをただただ悲しむというよりは、やっとひとつ大きな作業から解放された、どこかしらそんな安堵が感じられる口ぶりだった。
■「要介護になったとき、どんな風に介護してほしい?」
私は今年38になった。同世代の友人たちの間では少しずつ親の病気や命に関する話題が増えてきた。かく言う私の父も5年前にステージⅢの大腸癌と診断され、手術を受けた。事前に、リンパ節へ転移している可能性が極めて高いと言われていたものの、開腹すると幸運にもそこまでには至っていなかったことがわかり、父は今、すっかり元気になっている。
母の方も、ありがたいことにこれまで大きな病気という病気をしたことがない。そんなわけだから、ふたりがいつか体を壊し、当たり前に生活していくことがままならなくなる未来というのが正直言うと今は全く想像できない。とはいえ当然順当に行けばいつかは必ず親の介護という問題に直面するときはくるのだ。そのときに備えて、一度ご両親と話をしてみませんか、というのが今回『DRESS』の編集者さんから依頼された内容だった。
そんなことはお安い御用である。というのも私の実家は昔からフランクになんでも話す家だったので、両親の老後のことや介護のことなども、多少なりとも話をしてきた。父は昔から私と妹に「私とお母さんの老後のことはこれっぽっちも気にせんでいいからね。私らは私らで勝手にやっていくから、あなたたちはあなたたちで頑張って生きていきなさい」と繰り返し言うのだった。
こんなご時世ということもあり、福岡に住む両親とは今年一度も会っていない。今後もしばらく会うことは叶わないだろうから、この原稿のために久々にZoomを繋いだ。画面の向こうには今年、親戚から譲り受けたという猫を大事そうに抱えた母と、その隣に父。白髪が増えたような気もするけれど、それでも相変わらず肌艶はよく、元気そうにしている。まずは世間話でも、とあれこれ他愛もないことを話していると1時間ほど経っていて、慌てて本題を切り出した。
「実はさ、ふたりが今後もし要介護になったときに、どんな風に介護してほしいかを今のうちに一度聞いておきたいなと思って」
と言っても、私がふたりの要介護状態を全然イメージできないのだから、当の本人たちだって余計にそうだろう。うーん、とふたりで考え込む。
「要介護って言ってもいろんな状態があるけんねえ。なってみらんとわからんねえ」と母。そりゃそうだ。
備えがあればあるに越したことはないのだろうが、なってみらんとわからんことも多い将来の介護。では一体何に備えておくべきか、と考えいろいろ調べてみると、厚労省のサイトでこんなチェックシートが配布されていた。
「親が元気なうちから把握しておくべきこと」
このシートには、親の現状や要介護になったときの大まかな要望、また離れて暮らしていると見えにくい親の日常や交友関係などを確認する項目が用意されている。今回はZoomの画面共有機能でこのシートを共に見ながら話を進めていくことにした。
■“親が元気なうちから把握しておくべきこと”
まず冒頭の「介護が必要になった場合、誰とどのように暮らしたいか」という質問。
「そりゃあうちは今ふたりとも元気やけん、どっちかが要介護になっても、ふたりの間はこの家で暮らすやろうねえ」母に続いて、父が口を開く。
「もしお母さんが私より先に要介護になったら、私がちゃんと介護するけんね」
父は福岡生まれ福岡育ちの九州男児だが、一般的なイメージとは違って家事は一通りできる。特に根っからの綺麗好きなので、掃除なんかは日頃からことさら細やかにやる。加えて、決めたことは周りがなんと言っても頑として曲げないので、いざとなったら母の介護を自分がやるというのだって、決して口先だけではなく、本気なのだろう。
「でも、どっちかひとりになったら……そりゃもう子供と暮らすしかないやろうねえ……」と母。父はすかさず「いやいや、さっさと施設に入れてくれればいい」と言うが、母が反論する。「それがねえ、お父さんたちの世代が一番高齢者の人数が多いときなのよ。施設だって空きがあるかわからんのよ」
そうか、と頭を抱える父は現在1948年生まれの72歳。第一次ベビーブームのど真ん中に生まれた団塊の世代である。なるほど、キャパシティの問題から施設が選択肢に入らない可能性も考慮しておかなければならない。
これを受けて次の質問「子供に介護してもらうことへの抵抗感の有無」という項目では、父母が口を揃えて言う。
「抵抗感はないね。ただ、申し訳無さがある。……申し訳無さはあるけど、抵抗はないから、いざとなったらお願いします、ワハハ」
お願いされてしまった。
が、正直に言うと私も今のところはそのつもりでいる。私はシングルマザーだが、長男は現在18歳で、娘は15歳。ふたりはまだ元気なので、いよいよ本格的に私が稼働するべきときには、おそらく育児にはほとんど手がかからないだろう。これに加えて私の仕事は執筆業なので、経済面で常に先が見えないという不安はあれど、働く場所に関しては比較的自由が効く。だから、基本的にはすぐに駆けつけることができる。
さらに誤解を恐れずに言えば、両親がどのように人生の幕を閉じるのか、そのときに何が起きるのかを、娘として、物書きとして、近くで見届けてみたいという気持ちが、心の中にある。そのことを正直に両親に告げると、「好奇心かい!」とすかさず母に突っ込まれ、また笑う。
幼い頃、うちに遊びに来た友人が、私と両親の関係に驚くことがあった。なんでも、”家族なのにも関わらず”妙に他人行儀に感じることがあるらしい。何かをしてもらったら「ありがとう」と言うし、手間をかけたときには「ごめんね」と言う。私の家では親から子にも、子から親にも、そうすることが比較的当たり前だったのだ。遠慮は常にある。でも、自分の人生において必要な図々しさは、互いに決して隠さず、あっけらかんと口に出す。これができる環境に恵まれたことは、本当に幸運だったと思う。
“親が元気なうちから把握しておくべきこと”というこのシートの中には、親の趣味や、好きな食べ物なんて項目もある。なんでも親の趣味・嗜好を知っておくと、ヘルパーさんなど家族外の人に介護のサポートをお願いするときに役立つのだそうだ。父の好きな食べ物を尋ねると、母が答えた。
「お父さんはね、とろとろ卵が好きなんよ。とろとろ卵っていうのはどうやら中が半熟のオムレツのことらしいんだけどね、作るのが難しいのよねえ」
「わたしゃとろとろ卵も好きだけどね、大トロも好き、うなぎも好き、蟹も好きって書いておいて」
「書けばなんでも出てくるわけじゃないのよ」
父と母の会話は総じてボケとツッコミとで成り立っている。
父の口癖は昔から「漫画みたいだな!」で、父はギャグ漫画のいちエピソードとして、自分たちの周りに起こる出来事のすべてを面白おかしいものとして処理してしまう。
■私にとって、親子関係は特別だった
思えば私の両親は今の時代に珍しく、大人としての務めを立派に果たしてくれる両親だった。あらゆることが可笑しな、冗談みたいな出来事として処理される。そんな安心感があったから、私は何の心配もなく子供時代を子供として過ごすことができたのだ。
けれど両親に言わせれば、私が子供時代からあまりに大人びていたので、早いうちから子供を相手にしているという意識がなかったらしい。18歳で突如結婚すると言い出しても、あっこちゃんならなんとかするんやろう、と自然と“思わされて”しまったのだという。
“思った”ではなく“思わされてしまった”と、冗談めかした受動態で表現する両親に、彼らの親として、人としての有り様が詰まっていると私はいつも思う。なぜならこの受動態は、ふたりが自分の理想や希望にとらわれず、ただ私が望むように生きることを手放しで受け入れてきてくれた何よりの証拠だからだ。私のトライアンドエラーをコントロールしようとせず、そこで起きることすべてを、広大な基地として辛抱強く受け入れ続けてくれた。
親の介護を考えたとき、何よりまずベースになるのはそれまでの親子関係だろう。実際のところ親子とは、ただそれだけであればまったく特別な関係じゃないと私は思っている。
所詮は偶然血のつながりがあっただけ、ただそれだけの関係だ。ただそれだけの関係が特別な関係になるのは、お互いがそこに特別な価値を置きたいときだけでいい。親子として過ごす時間が自分にとって特別なものであればその親子関係は特別なものになるだろうが、一方で自分を大切にしなかったり、自分を苦しめたりするような親子関係は特別な関係でも何でもない。
ましてや親なんて勝手にセックスをして勝手に子供を産んでいるのだから、老いていこうが病んでいこうが親の勝手であって、基本的には子供には何の責任もない。自分自身が親になってから、余計にこんな風に思うようになった。
が、あくまでもそんな前提の上で私に限った話をするのであれば、両親と私の関係は、私にとってはたしかに特別なものだった。疑う余地なくそう思える時間を、両親は私のために費やしてくれたと思う。だからこそ、どんな苦労が待ち受けているのか今の私には全く見当もつかないけれど、両親が子供の頃の私にやってくれたように、両親の心や体に老いとともに起きる変化を、今度は私が見守ってみたいという気持ちがある。受け取ったものを返す、そんな機会が先々に訪れるのだとしたら、私の人生のためにも、ある程度は腹をくくりたいという思いが、少なくとも今は、たしかに私の中にある。
そんなことを言いながらも現状は遠く離れて暮らしており、すっかり都合のよいときにしか実家に顔を出さない不届き者の娘である私にとって“親が元気なうちから把握しておくべきこと”シートで今回、親の日常の一端を垣間見られたことは、いつかやってくるそのときに向けた、ほんの小さな一歩として、なかなか良い機会だったかと思う。
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