特別講演の応募者が多数の場合は抽選となるが、東京都北区外に住んでいる人は、「芥川龍之介記念館クラウドファンディング」(仮称)の返礼品として、イベントに申し込むことが可能。
クラウドファンディングを通じて申し込みした場合、返礼品として特別講演の招待券と芥川龍之介グッズが送られる。
北区では、2026年度に「(仮称)芥川龍之介記念館」の開館を目指しており、
この記念館における芥川龍之介の書斎再現に向けて、クラウドファンディングを実施している。
芥川龍之介は1914年から亡くなる1927年まで、東京都北区田端に暮らし、多くの作品を生み出した。
「(仮称)芥川龍之介記念館」は、田端1丁目20番地にある芥川の旧居跡という唯一無二の土地の記憶をよみがえらせ、芥川の生きた時代、創作を支えた雰囲気を「体感(feel)」できる施設を目指している。
詳しい情報は、クラウドファンディング詳細ページで確認しよう。
東京都北区と芥川龍之介の関係
芥川龍之介は、大正期を中心に活躍した、日本の近代文学を代表する作家の一人。独自の視点と鋭い洞察力で、短編小説を中心に数多くの傑作を生み出した。その作品は40を越える国・地域で翻訳され、現在も日本のみならず世界の人々に愛され、高い評価を受ける。代表作として『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』『地獄変』『藪の中』『杜子春』等がある。
1914年、東京帝国大学に通う学生であった芥川は、両親とともに田端435番地(現1-20)に新築転入。1916年、『鼻』が夏目漱石に激賞され、卒業後は『芋粥』などを文芸誌に発表し、新進作家として文壇に登場した。
その後、芥川は教員生活と並行し新聞紙上で文筆活動にも精を出し、鎌倉、横須賀などにしばらく居住したが、1919年、筆一本で立つことを決意し再び田端へと戻り創作に邁進する。
名声が高まるにつれ書斎には訪問客が増え、近くに暮らしていた室生犀星、久保田万太郎らの文士、小杉放庵、香取秀真らの芸術家たちとも行き来を重ねるようになる。