「3人で旅行がしたいんだ」というヒロトの願いは、やりたいことだけしかできないみっくんにとって、生まれて初めて感じた兄の自己主張だったはずです。やりたいことを「やりたい」とさえ言えない人生を、ヒロトは生きてきたということです。
「お兄ちゃんにも、やりたいことがありますか?」
ずっと家族を守ることだけを考えて生きてきたヒロトという人物の「やりたいこと」は、相変わらず家族を守ることにほかなりません。変わったのはヒロトではなく、家族を取り巻く状況のほうでした。しかしその状況を理解しないみっくんは、それを兄の変化ととらえ、“旅行”に行くことに同意するのでした。
■それにつけても坂東龍汰よ
ASDの青年を演じるにあたり、坂東龍汰は時間をかけて取材をしたといいます。実際に当事者やその家族に会い、作り上げた「みっくん」というキャラクターの造形は確かに画面の中で的確に再現されています。
しかし、その取材対象となった障害を持つ方々に、取材期間中にこのドラマで描かれるような変化が訪れていたとは考えられません。坂東龍汰は取材や経験によって作り上げた「みっくん」を、今度は芝居の中で成長させていかなければならないわけです。そこにはモデルも道標もない、自分で考えて咀嚼して演じていかなければならないということです。
今回、みっくんが一旦は旅を拒否し、それを了承していくプロセス。1人ではコンビニで牛乳を買うことさえ難しかったのに、旅を経てド田舎のスーパーでお肉を買ってくることができるようになっていく。第1話では「困らせる側」でしかなかったみっくんが、「手助けする側」になっていく。
そのみっくんの変化を演じる坂東龍汰のまなざし、表情、セリフ回し、お芝居のすべてに、この俳優さんの「役」というものへの真摯な態度を見るのです。
週刊誌記者の工藤が、勝手に取材途中の記事を公開した部下の天音(尾崎匠海)に対して、「出した記事がどこにどういう影響を与えるか1回でも考えたのか」と激高するシーンがありました。ドラマだって一緒です。障害者をリアリティをもって忠実に演じることで、どこにどんな影響を与えるかわかりません。思わず目を反らしたくなってしまう人もいるだろうし、トラウマを刺激されて不快になる人だっているかもしれない。でも、だからこそ、もう全身全霊で役に向き合うしかないんだよな。そんなことを考えさせられる回となりました。