長寿番組「笑っていいとも!!」で、長らく日本の昼の顔としておなじみだったタモリさん。ビートたけしさん、明石家さんまさんと共に「お笑いBIG3」としてもその名を知られています。今回は、芸能界の大御所タモリさんの年齢や年収など、知られざる謎に迫りたいと思います。
現在74歳!タモリの本名や生年月日のプロフィール
本名:森田一義(もりたかずよし)
生年月日:1945年8月22日(79歳)
出身地:福岡県福岡市南区
身長:161cm
血液型:O型
所属事務所:田辺エージェンシー
長らく日本芸能界のトップシーンで活躍するタモリさんは、現在79歳です。デビュー当初はイグアナのものまねや、アイパッチを着けてテレビ出演するなど、その奇抜な芸風で知られたキワモノタレントでした。
それでは、タモリさんの華麗なる芸能人生を振り返ってみます。
タモリの若い頃とは?幼少期や芸能界入りのきっかけ
タモリさんの誕生日は1945年8月22日ですが、実に太平洋戦争が終戦となった1週間後のことでした。
タモリさんの幼少期の頃のエピソードとして有名なものに、幼稚園へ上がる頃にはすでに「偽善」という言葉を知っていた―。というものがあります。入園のために見学へ訪れた際、園児たちがおゆうぎをしている姿を見て、入園を拒否したと言います。
後の視点の鋭い独特な芸風の下地が、すでにこの頃からあったようです。
保険外交員をしていたサラリーマン時代
小学校3年生の下校途中、タモリさんは電柱のワイヤに顔面をぶつけ、針金が右目に刺さってしまったことで右目を失明してしまいました。
タモリさんは、日がな人間観察をするようなおとなしく感受性の強い性格でしたが、野球やラグビーなどのスポーツにも興味があり、また祖母の影響で若いうちから料理をたしなんでいました。高校に入学すると、当時の流行だったアマチュア無線をやり、早稲田大学へ入るとモダン・ジャズ研究会に入ります。好奇心が旺盛で多彩なタモリさんの姿が伺えます。
大学を卒業すると、朝日生命で3年近く保険外交員として勤めました。タモリさんにサラリーマン時代があったとは驚きですが、その後タモリさんは同僚で2歳年上の女性と早々に結婚し、旅行会社に転職、系列のボウリンング場に転属となってからは、支配人まで勤めたといいます。
デビューのきっかけはピアニストの山下洋輔
デビューのきっかけは1972年、タモリさんが27歳のころにさかのぼります。
タモリさんは、東京で開催された渡辺貞夫コンサートを鑑賞に訪れていました。鑑賞後の夜、友人と酒を飲んでいたところ、たまたまコンサートに出演していた山下洋輔トリオの面々が、乱痴気騒ぎで楽しんでいるところに遭遇します。タモリさんはここぞとばかりにその騒ぎに乱入し、独特すぎる爆笑即興芸でその場の注目をかっさらってしまいました。
そして翌朝、タモリさんは福岡に帰ってしまうのですが、山下洋輔さんらはその時のタモリさんの芸があまりにも強烈だったのを覚えていて、「あの謎の男は誰だ?」ということで持ちきりになったそうです。そうしてタモリさんは山下洋輔さんの手引きで東京に舞い戻り、やがてデビューを果たすことになるのです。
タモリの芸風や代表的なものまねは?
タモリさんが山下洋輔さんらの前で披露した芸が、タモリさんの代表芸とも言われるデタラメ外国語の「4か国語麻雀」です。これはタモリさんが外国人になりすまして、デタラメの母国語を披露しながら麻雀しているところを一人で熱演するというものでした。
また、タモリさんの代表芸として有名なイグアナのものまねは、その観察の細かさとしつこさから、今までにない形態模写芸として喝采を受けました。しかし、その芸風は当時としてはかなり攻めたきわどいもので、どちらかというとマニア向けのキワモノ的存在として目されていました。
芸風というのとはちょっと違いますが、タモリさんが出演する人気番組、テレビ朝日系「空耳アワー」や、かつて流行したフジテレビ「ボキャブラ天国」などは、タモリさんの持ち前の「細かな視点」に笑いを生み出すセンスが生かされています。
これなども、日本のお笑いのジャンルを作り上げたという点では、画期的な存在なのです。
タモリの「笑っていいとも!」出演時の年齢は?
タモリさんの芸風はいわゆる深夜枠の芸風でした。ですので、タモリさんが昼の顔としてテレビに登場するということは、お茶の間におどろきを持って迎えられました。
「森田一義アワー 笑っていいとも!」が開始されたのは1982年、タモリさんは当時、37歳となっていました。デビューのきっかけとなった山下洋輔さんとの出会いから、10年後のことです。
番組開始当初は、タモリさんの存在が奇異に映ってか、あまり視聴率が伸びませんでしたが、その後、30年以上も続く国民的番組となったのです。
タモリと鶴瓶や明石家さんまらの年齢差やデビュー順は?
タモリさんは、明石家さんまさんや笑福亭鶴瓶さんとの軽妙なトークの掛け合いでもおなじみで、それぞれに仲の良さが伝わります。
年齢差はタモリさんが1945年生まれの79歳で一番上、続いて笑福亭鶴瓶さんが1951年生まれの72歳、末っ子は明石家さんまさんで1955年の69歳、タモリさんとは10歳差です。実質のデビュー順を見ると、実は年長のタモリさんが一番遅く1975年、真ん中が明石家さんまさんで1974年、笑福亭鶴瓶さんが最も早く1972年となっています。
タモリさんの芸能界人生は遅咲きといえますが、誰の弟子にもならず独自の芸風を切り開いたことは、まさに天才であったといえます。