たとえば、YouTubeの動画再生回数が7000万回を超える「幾億光年」(Omoinotake)や1億7000万回超えの「Magnetic」(ILLIT)、これらはいずれも間違いなく今年を代表するヒット曲です。ですが、その飛び抜けた数字を持っているのにもかかわらず、“誰だこれ?”とか“聞いたこともない”との声が少なからず伝わってくる。
これは、ジェネレーションギャップというよりも、むしろネットやSNSの世界が人々が思うよりも狭いがゆえに数字だけを増幅させてしまう効果をもってしまうのではないか。そして狭さの中で、情報が高速で交換される。すると、表面的な数字だけがつり上がっていくわけです。
そこのズレに、紅白歌合戦というフォーマットが耐えきれなくなってきているように感じるのですね。
◆◯◯億再生回数という数字の実体のなさが表すもの
そう考えると、選出の根拠としている再生回数やダウンロード数の中に、本当に“聴きたい”と思っている人の割合がどれだけいるのか。それがSNSの時代ではとても計りにくくなっているのではないかと思うのです。
加えてCDやDVDなどのフィジカルの売上すら、いまや“推し活”の名のもとに、どれだけファンがいるかを示す指標程度の意味合いしか持たなくなってしまいました。
つまり、ファンとアーティストの関係で成り立つビジネスはあっても、その間に有用な部外者としての“客”が入り込む余地がなくなってしまった。それが、◯◯億再生回数という数字の実体のなさを表しているのだと思います。
◆本当に終わっているのは紅白歌合戦なのか?
そんな中で、国民的な音楽番組としての紅白歌合戦を構成するのは、年々困難になってきていると想像します。
“もう紅白も終わりだろう”という声がますます高まっています。
ですが、果たして本当に終わっているのは紅白歌合戦なのでしょうか?