Apple TV+が10月13日に2話で世界同時配信した「レッスンinケミストリー」は、1950〜60年代の男社会でデキる女が自立を目指して悪戦苦闘する姿を描く。オスカー女優ブリー・ラーソンが制作・主演を務める他、ルイス・プルマン、アヤ・ナオミ・キング、ケヴィン・サスマン、レイン・ウィルソンが出演。全8話の限定シリーズ。
※「レッスンinケミストリー」についてのネタバレが含まれます。
日本でもアカデミー賞受賞女優ブリー・ラーソンが制作・主演するドラマとして前評判の高い「レッスンinケミストリー」。Apple TV+のオリジナル限定シリーズは、10月13日より全世界同時配信されています。もうご覧になった方もあるかと思いますが、全8話を観ての感想をご報告します。
英文評はこちらをご覧ください。
ボニー・ガルムスの同名のベストセラー小説を基にテレビ化された「レッスンinケミストリー」(全8話)は、男は仕事、女は家庭と役割分担が明確に二分されていた1950年代に、天職で人生を全うしようと悪戦苦闘するデキる女エリザベス・ゾット(ブリー・ラーソン)の自立奮闘記です。
学校にも通わず、図書館で本を読んだだけで、UCLAの化学修士号を取得したにも関わらず、訳あって博士号をとれなかったエリザベスは、ヘイスティングス研究所の「二流の化学者に最高に美味しいコーヒーを淹れる」ラボテクニシャン(秘書に毛が生えた程度の支援スタッフ)に甘んじています。「生意気で可愛くない女!」「高ビーのイケ好かない女!」と上司や同僚から総スカンを喰らっても、「退かない、詫びない、媚びない」が三拍子揃ったエリザベスは、出世を阻まれても何のその、夜な夜な研究に余念がありません。化学者として自力で偉業を成し遂げるのだ!と大志を抱いています。
そんなエリザベスに惹かれたのは、研究所に莫大な研究費をとってくるスーパースター、天才化学博士カルビン・エヴァンス(ルイス・プルマン)です。アイデアが枯渇して毎日ぶらぶらしていたカルビンに、美味しい手料理と斬新なアイデアを提供してくれる、’鬼才’と呼ぶに相応しい化学者エリザベスは新鮮に映ります。ノーベル賞候補として研究所から多大な期待をかけられるカルビンは、独り占めしていた研究室にエリザベスを引き抜くことに成功!こうして、一匹狼/人間嫌い/奇人変人と後ろ指をさされる似た者同士は、共同研究者兼ライフ・パートナーになり、幼い頃から夢に見た安住の地をお互いの中に見出します。
しかし、運命のいたずらでエリザベスは、未婚の母になったことを理由に解雇され、未完成の共同研究成果の所有権は研究所に帰属すると取り上げられて、路頭に迷うことになります。知能指数は高くても、生きる知恵や常識に欠け、母性本能のカケラもないエリザベスに、子育てのヒントから心痛の処理までを伝授するのは、向かいに住む職業婦人ハリエット・スローン(アヤ・ナオミ・キング)です。
縁あって仕事をすることになったKCTV局の「サパー・アット・シックス」は、「テレビなんて!」と馬鹿にする科学者にとっては、足を踏み入れたことのない新境地です。しかし、毎晩試行錯誤を繰り返して完璧を極めた手料理は化学の実験だったこと、娘マデレーン(アリス・ホールジー)を女手一つで育てるために、背に腹はかえられぬことから、天職からは程遠い(?)料理番組のホスト役を引き受けます。営利一点張りのフィル・レベンスマル局長(レイン・ウィルソン)に、やる事なす事にいちゃもんをつけられるものの、視聴者には大好評を博して、一躍有名人にのし上がります。初めて体験するセレブの身分を利用して、専業主婦に飽き飽きしている女性に、家庭か職場か?の二者択一ではなく、自分らしく生きるべきだと啓蒙します。但し、ここでも、エリザベスはフィルのセクハラやパワハラに会うと同時に、化学者としての確固たる信条とビジネスとしての番組作りの狭間に立たされます。
この手の偏見や差別に虐げられながらも、逞しく生きて行く女の自立モノは最近珍しくなりました。現実に女性の社会進出が目覚しいからとは、お世辞にも言えませんし、夫婦で共働きしても、マイホーム購入はおろか、日々の生活も苦しい昨今を舞台にすると、女の自立どころではないからかも知れません。今世紀に入って制作された私の好きなデキる女の自立奮闘記は、ドラマ「グッド・ワイフ」(CBS 2009〜16年)以外は、映画「モナリザ・スマイル」(2003年)、「クイーンズ・ギャンビット」(Netflix 2020年)と「ジュリアーアメリカの食卓を変えたシェフ」(Max 2022年)等、第二波フェミニズム運動が始まる前の1950〜60年代に時代設定されています。
「レッスンinケミストリー」の鬼才エリザベスも、男尊女卑が大手を振ってまかり通り、過半数の女性が良妻賢母の籠から飛び立てない/飛び立っても何をどうしたら良いか分からない!の堂々巡りか鬱状態に甘んじていた時代のヒロインです。フェミニストの旗を振りかざして職場に乗り込んだ訳ではなく、17歳で悪徳信仰療法士の毒親と縁を切って独り立ちしたエリザベスにとって、天職を全うするのは死活問題であり、飽くまでも夢を叶えるために、自分らしく生きる揺るがぬ決意があったからです。女だからと夢を叶えることを阻止する不公平極まりない職場でエリザベスが実際に体験したことをもとに、「サパー・アット・シックス」視聴者に、もっと違う生き方があって良い筈!しきたりにこだわる必要はない!と啓蒙し、結果的にフェミニストの草分け的存在になったヒロインと言えるでしょう。
永遠に「マッドメン」の世界が続く日本に愛想を尽かして、女だからとキャリアが制限されず、「ダメ元精神」さえあれば、夢が叶う公平な国アメリカに移住した私も、フェミニズム運動に貢献しようなどと、だいそれたことを考えていた訳ではありません。一緒に働いていた未婚の女子社員達は、結婚退職を目指して婚活(当時にはなかった言葉ですが)に励むだけで、専業主婦は気楽で良いよ!とキャリア・ウーマンを目指す私を蔑む連中ばかりでした。歳と共に女が活躍できる場が先細りし、年相応の行動をとらない人間には生きにくい国にしがみついていても、お先真っ暗!夢を叶えるためには、アメリカに行くっきゃない!と脱出しました。自立さえできれば、独りで何とか天職を全うできると思っていたからです。今でも、日本で働く姪っ子と話をする度に、嫌気がさして脱出した嘗ての日本と現在は、大して変わっていないことにびっくりしますし、つい2年余り前に、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜郎会長の女性軽視発言事件を聞いた時も、然もありなんと苦笑しました。男尊女卑丸出しで時代遅れの失言だという自覚がない人には、何を言っても始まりません。昔々、父親にも同様のことを言われた記憶がまざまざと蘇ってきました。
但し、「レッスンinケミストリー」の結末は、シンデレラではあるまいし、余りにも非現実的でずっこけました。此の期に及んで、「BONESー骨は語るー」のテンペランス・ブレナン(エミリー・デシャネル)、あるいは「ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則」のシェルドン・クーパー(ジム・パーソンズ)を彷彿とさせるエリザベスが、博士号に再挑戦しないなど、あり得ません。エリザベスの鬼才ぶりや揺るがぬ決意は、自閉症スペクトラム症(2013年までは、アスペルガー症候群と呼ばれていた高機能自閉症)の賜だと思われるので、そう簡単に諦める筈がありません。それとも、社交性や協調性に欠ける「智に働けば角が立つ」エリザベスが、嘘も方便の世渡り術を持ち合わせていない限り、どこで働いても、周囲の神経を逆撫でするのは必然だと悟ったからでしょうか?殻に閉じ籠る研究肌の奇人変人、空気/感情/真意が読めないエリザベスでさえ、未婚の母として生きるいばらの道を支えてくれた友達のお陰で、角が取れて丸くなったからかも知れません。
最も気になったのは、ラーソンが「智に働けば角が立つ」エリザベス役を好演しているのか?それとも、これがラーソンの地なのか?と言う点です。最後にレギュラー出演したのが、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・タラ」(Showtime 2009〜11年)の主役タラの長女役でしたが、出演作を調べてみて初めて気が付いたほど印象に残っていません。その後、映画で大活躍していますが、私が敬遠しているアメコミの実写版が多いこともあって1本も観たことがありません。ここ数年日産自動車のCFで頻繁に見かけるようになりましたが、何度見ても強烈な印象が残らないのは、無表情で冷た〜い感じがするからでしょう。食わず嫌い?と思って観た「レッスンinケミストリー」は、普段の無表情で冷たい感じの延長ですかと聞きたくなるほど、自閉症スペクトラム症に成り切っています。スウェーデン人の血が流れているのも、あの凛とした冷たさの一因かも知れませんが、嫌われ者/傲慢/無礼/意地悪等と叩かれる由縁を調べてみたところ、#MeToo時に争点となった男女ギャラの格差、起用や職場での待遇に飛躍的改善を遂げていないハリウッドで、次世代を牽引するのは自分しかないと背負い込んで(誰が頼んだ訳でもありませんが)、男に負けてなるものか!才能で勝負!と意気込んでいる節があります。つまり、エリザベスの奮闘記に自分を重ね合わせて、ドラマから70余年経った今でも、女は自立を目指して闘っているのだ!と実証するツールとして敢えてこの企画を選んだように思えてなりません。飽くまでも、私見ですが. . .
女性の権利主張や自覚が、日本より30年は先を行っていると信じていたアメリカに移住して以来差別された体験がない私に、「レッスンinケミストリー」は社会に出た途端にぶち当たった日本の男尊女卑の厚い壁、当時受けた偏見に満ち満ちたセクハラ/パワハラ発言が蘇り、キャリア・ウーマンとしての自立が如何に困難を極めたかを思い出させてくれました。このような女性差別や軽視の腹立たしい歴史のおさらいから、民主主義の崩壊に付随する周縁化/疎外されたグループ(女性、障害者、有色人種や先住民族、LGBTQ+、社会的地位が低いため影響力ゼロの人達)の基本的人権の剥奪が急ピッチで進み、アメリカが過去に逆戻りし始めた昨今、民主主義など絵に描いた餅、ご先祖様が苦労して勝ちとった自由はこれからも身をもって守っていかなければならない!と言うメッセージが読み取れます。未婚の母が解雇の正当な理由だった、家庭を持ちながらキャリアも目指したい女性は、夫の許可書を提出して初めて職業婦人になれた、そんな時代に戻りたいなら別ですが. . .