そのエピソードから生まれた今回の説。しんいちにハニートラップドッキリをかけて女性といい感じになったところでビリビリ電流を流し、ドッキリを明かした後に今度は女性のほうから再度アプローチをかけたら、しんいちは乗ってくるのかという検証だった。
最初のネタバラシは『水ダウ』ではなくドッキリ特番としてしんいちを騙し、2度目のドッキリを敢行。さらに3度、4度と、この番組が『水ダウ』であることが明かされたあともしんいちはドッキリにかかり続け、ビリビリを浴び続けた。そのたびに、不貞腐れたしんいちの表情が全国のお茶の間に届けられることになった。
このドッキリの構造としては、しんいちが何度も乗ってくるのは当然である。もしドッキリではなく誘いが本当なら美味しい思いができるし、仮にドッキリだとしても、その分『水ダウ』への出代が増えることになる。今や芸人にとって超人気番組『水ダウ』への出演は、どんな形であれステータスである。
そんな『水ダウ』の立ち位置を、番組側が自覚していないわけがない。最初は飲食店で流していたビリビリを、しんいちの自宅に向かうタクシー、女性の自宅(実際にはハウススタジオ)と場所を移しながら真実味をエスカレートさせ、女性にしんいちからのキスを受け入れてもらうというオーダーまで出してしんいちの感情を揺さぶる。そして、キスの次の段階として、カメラだらけの部屋にしんいちを誘って女性にはこれまで通り誘惑の演技を続けさせ、しんいちに自らデンキナマズを触らせてビリビリを食らわせるという不条理な展開で幕を閉じる。
ドッキリの演出は、演者からのリアクションを引き出すことがすべてだ。しんいちの「痛い」と「悔しい」で存分に取れ高を稼いだあとに、とびきりシュールなシチュエーションを用意することで、視聴者の予測を上回り、定番であるビリビリドッキリの一歩先を見せてくれる。この企画力こそが『水ダウ』が松本人志を失ってなお人気番組であり続ける理由だろう。
(文=新越谷ノリヲ)