バビロニア遺跡
それでは、ここから筆者が実際に訪ねたバビロニア遺跡をご紹介します。
イシュタル門
先ずはバビロンの入り口となるイシュタル門から。紀元前575年、新バビロニア王国のネブカドネザル2世により建設されました。青い彩釉煉瓦は耐久性があり、永遠の都バビロンを強く意識して選ばれた素材でした。バビロンの女神イシュタルと共に、ムシュフシュ、オーロックスの浅浮き彫りなどが描かれています。現地にあるこちらはレプリカです。
オリジナルの実物は、ドイツ・ベルリンのペルガモン博物館に展示されています。大きさも威厳も全然違いますね。当地のイミテーションとはだいぶ違います。
イシュタル門は、1904年から1914年にかけてドイツの考古学者によりユーフラテス川を使って密輸されました。崩壊しバラバラになっていたイシュタル門のピースは実に199,750点に及んだそう。それから気の遠くなるようなパズルを経て甦ったわけです。
元はこのような形をした門でした。
行列通り
行列通りはイシュタル門から神殿まで続く幅20~24mあったとされる通りです。
サイドの壁には想像上の動物の浮き絵が彫られています。こちらはオリジナルです。
城
手前のこの塊は城跡です。2,500年も経つとこのようになってしまうのですね。この辺りの気候は直近の1,000年と大きく変化していないとされています。年間雨量100ミリ以下の乾燥地帯では風化も激しいのでしょう。
バベルの塔
バベルの塔は、旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔です。以前ご紹介したバグダッド近郊のジッグラト(聖塔)と同じく、紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれた説が有力です。天にも届く神の領域まで手を伸ばす塔を建設しようとして、崩れてしまった(神に壊された)という故事にちなんで、空想的で実現不可能な計画の比喩としても用いられています。
もし現実に存在していたとしても、すべて崩れて跡形もなくなっており、どこに位置していたかも解明されていないようです。
ライオン像
現地にある唯一といってもよいオリジナル像です。宮殿の前に狛犬のように置かれていました。現時点で宮殿は跡形もありません。
ネブカドネザル宮殿
現在発掘調査の行われているバビロンの遺構は、大部分がネブカドネザル二世の治世のものです。紀元前600年前に、ネブカドネザル王が新バビロニアを再興し、大帝国の首都にふさわしい壮大な町づくりを計画し、紀元前580年頃、町の中心部のユーフラテス川の左岸にマルドウクの神殿を建てました。
ネブカドネザル2世は建築活動を熱心に行った事が、大量に残された建築記念碑文に刻まれています。
彼が残した建築遺構にはバビロニアを代表する建造物として名高いイシュタル門や、バベルの塔のモデルとなったともされるジッグラトが含まれます。またネブカドネザルがバビロンの空中庭園を造営したという伝説が旧約聖書によって伝えられています。バベルの塔も空中庭園もどこにあったのか、現在でも定かではありませんが、きっと壮大な建築だったことでしょう。
これは想像図ですが、新バビロニア王国は想像を絶する繁栄を極めていたとされています。
この辺り一体は、米国によるイラク侵攻の際に米軍がキャンプが置かれました。残念ながら歴史ない国の人間に、歴史の重みなど分かるわけもなく、バビロニア遺跡はところどころ破壊された挙げ句、遺物を持ち去られました。盗み出された文化財は、2021年になり米国から返還され、その数はおよそ17,000点にものぼったよう。米国だけでなく英国からも数万点が返還されたようですが、それは盗まれた遺物のごく一部なのだとか。