性的虐待に気づかなかった母

――作品内で継父の「ツカサ」だけがシルエットで表現されているのはなぜでしょうか?

魚田コットンさん(以下、魚田):本人にバレたくなかったからです。人物として描くと本人に近い絵を描いてしまいそうだったのでシルエットにしました。

――継父の第一印象はどんな人物でしたか?

魚田:すごく明るくてムードメーカータイプの人間でした。今も機嫌が良い時はすごくよく喋ります。

――一方で、お母さんのことはとても綺麗な人として描かれています。

魚田:子どもの頃の私が見ていた母のイメージでもありますし、私は母をまったく恨んでいないので可愛く描いてあげたいと思いました。

――お母さんは魚田さんが性的虐待に遭っていたことに気づいていたと思いますか?

魚田:母が気づいていたのかは分かりません。私がツカサに全然話しかけなくなったり、嫌っていると分かるひどい態度をとっていたので「馬が合わない」とは思っていたようです。

――当時、どんな人になら性的虐待を相談できたと思いますか?

魚田:親戚の人やおばあちゃん、学校の先生が1回でも「様子がおかしいけどどうしたの?」と聞いてくれたら話せたかもしれません。私は性的虐待を隠していたので打ち明けるのは難しかったかもしれないですが、継父と私の関係がギスギスしていたことに母は疑問を持たなかったようでした。少し心配はしていたようですが、結局言葉で私に尋ねてくれたことは一度もありませんでした。

――もし「虐待に遭っているのではないか」と思われる子どもがいたら、どう接してあげればいいと思いますか?

魚田:まずはその子と仲良くなって信頼関係を築くことが大切だと思います。知らない大人からいきなり「何があったの?どうしたの?」と聞かれても怖いだけですから。すぐ結果を出そうとして接すると、子どもは余計に被害を隠そうとしてしまうかもしれません。

大学受験前日も性被害に

――性的虐待が始まってから普段は継父とどうやって接していたのでしょうか?

魚田:母に頼まれない限り、自分から継父に絶対に話しかけないようにしていました。2人きりになる場所には極力行かないようにしていたし、継父に少しでもからかわれたらキレるような態度をとっていたので端から見ても普通ではなかったと思います。でも反抗期といってしまえばそう見えたかもしれません。

――携帯電話を使った性被害のエピソードには驚きました。継父は虐待の証拠が残っても構わないと思っていたのでしょうか。

魚田:私がお母さんにはバラさないと思っていたというのもあるし、自分が「すごく悪いことをしている」という感覚がなかったのではないかと思います。

――大学入試の前日にも性被害に遭ったことが描かれていました。どうやって試験を乗り切ったのでしょうか。

魚田:無理やり気持ちを切り替えるしかありませんでした。ホテルの部屋で1人で暴れて悔しさを発散させて、「絶対に受かってやる」という気持ちだけを持って入試に向かいました。

――辛い日々の中で何が救いになっていましたか?

魚田:学校生活は楽しかったと思います。家と同じように辛い場所にしたくなかったので、せめて学校では明るく生活したいと思っていました。子どもの頃は誰とでも仲良くできるほうで、転校先でも運良くクラスメイトに恵まれました。みんな優しくて転校生の私に積極的に話しかけてくれたのが嬉しかったです。

「なぜ気づかなかった」母を非難する読者の声

――性被害がなくなったのはいつからだったのでしょうか?

魚田:私が結婚して実家を出たらパタリとなくなりました。本当に一切何もされなくなりました。私の憶測ですが、結婚して「人のもの」になったことが大きかったのだと思います。

――書籍が発売されてから読者からどんな反応がありましたか?

魚田:読んでくれた方からは「希望を持てました」「私も頑張りたい」とメッセージをいただきました。

――読者の反応として、お母さんに対して「なぜ娘が虐待されているのに気づかないんだ」と非難する声が多かったと思います。どう受け止めていますか?

魚田:「お母さんが悪い」という意見はすごく多く寄せられました。でも1番悪いのはどう考えても加害者である継父だと思います。もしお母さんが虐待に気づいていたのに何もしなかったのなら悪いかもしれないですが、「気づかなかったんだからどうしようもなかっただろうな」と思っています。

――タイトルの「母の再婚相手を殺したかった」という気持ちを当時の魚田さんが我慢したのは、お母さんを思う気持ちが強かったのでしょうか。

魚田:お母さんに迷惑を掛けたくなかったし、我慢することでお母さんを守りたいと思っていたと思います。

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<取材・文/都田ミツコ> 都田ミツコ

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