そして天神で結ちゃんがパラパラの練習をしているところを見かけた幼なじみの陽太(菅生新樹)、こいつがまた意味不明で、自分は休日にはチャラい服着て首からグラサン下げて天神で遊んでるくせに、ハギャレンの中に結ちゃんとリサポンを見つけると「なんやあのかっこう」とか言ってる。休日のおまえは、どう見ても“そっち憧れ”じゃん。なんで上から目線なのよ。
もうね、ドラマ自体がギャルを異物として扱ってしまっているんです。単に「違う生き方を選んだ人たち」ではなく「哀れな蔑みの対象」として配置している。そして結ちゃんを、その哀れな者どもに救いの手を差し伸べるメシアとして扱ってる。嫌々でも翌週もカラオケに“付き合ってやってる優しい子”だと言っている。きんもー。
そして極めつけが、門限に間に合わなかった結ちゃんに同行した陽太の「全部俺のせいなんです」「実は俺たち、付き合っとるんです!」という土下座です。その、自分の“そっち憧れ”を棚に上げ、選民思想に塗れた迷惑行為を「不器用だが純粋な恋心」として描いている。汚らしい。
■言い過ぎです
いや、あのね。ちょっと悪辣に言い過ぎてはいるんですけど、「本気」って言葉を軽々しく使ってほしくないんですよ。「本気だ」と言った友達が実は本気じゃなかったとき、周囲はものすごく傷つくんですよ。裏切りである上に、相手を全否定することになるんですよ。
おそらく作っている人たちも、そんなふうに映っているとは思ってないのでしょう。いろいろな事情があって、結果、なんだかアンバランスなものになってしまっているということだと思う。でも、たぶん本気で作ってるんだと思うから、「こう見えちゃってるよ」「なんかひどいことになってるよ」と、本気で書いておかなきゃいけないと思うんです。本気じゃないことを「本気だ」とは言いたくないし、本気じゃないならこんなレビュー書く意味もないもんね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)